コラム「母を撮る」

ヒューゴ・デ・ウァール博士との再会

© 2018 NY GALS FILMS

 日本語で敬愛を込めてヒューゴ先生とお呼びしているヒューゴ・デ・ウァール博士を日本に招聘することは、私の〈Bucket List=死ぬ前にやりたい事のリスト〉の一つでした。今回当財団の協力も頂き、その夢が叶い本当に嬉しい限りです。

 ヒューゴ先生と私は、2013年「毎アル2」の撮影で初めて出会いしました。しかし、実は、私の撮影リストには、ヒューゴ先生は、入っていなかったのです。こういうところが、ドキュメンタリー映画の醍醐味ですよね。現場で撮影項目をドンドン変える!元々は、せっかくパーソン・センタード・ケア発祥の地、イギリスに行くのですから認知症ケアについて多角的に掘り下げようと考えていました。ノーリッジにある大学の認知症研究専門の先生たち数人に日本からインタビューの撮影許可を取り付け、イギリスに飛びました。しかし、今振り返ってみれば、これは、撮影前のリサーチ段階ですべきことだったのです。

 インタビュー映像を映画で使うことは、そう簡単なことではありません。映画に必要な部分を語ってもらうには、一般的に約10倍の量のカメラを回すことになると言われています。しかし、ノーリッジの大学の先生たちは、それぞれ社会学、精神学、心理学、ソーシャルワーカーの分野から見事に認知症について語ってくれました。

 素っ気ない講義室を即興でスタジオのような雰囲気に変えたりして、それはそれで、とても楽しい撮影になったのですが、インタビュー撮影が半ばまで来て、私は焦り始めました。当たり前ですが、個々のケース・スタディが、決定的に欠けていたのです。あるいは、ケース・スタディがあっても個人情報になるため、オブラートに包んだような表現になりました。

 映画は学術論文ではありません。映画では使えない!使えても面白くない!!さあ、どうしようか。しかし、いつだって「ピンチこそ、チャンス!」なんですね。私のそんな表情を読み取ってくれたのかどうか。一人の先生が、ヒューゴ先生と認知症ケア・アカデミーの存在を教えてくれたのです。でも「撮影は難しいと思うよ」と言いながら。The rest is history! その後のことは、皆さんもご存知通り「毎アル2」に結実しました。

 ヒューゴ先生と会った瞬間、心を開くことが出来たから不思議ですよね。交流が続き、「ファイナル」でも再度映画にご出演頂きました。ヒューゴ先生は、同世代ということもあって、今やお互いをファーストネームで呼び合う仲です。次回号では、そんな先生の日本滞在エピソードをたっぷりと書きたいと思います。

2018年8月