コラム「母を撮る」

母の最期

(C)NY GALS FILMS 2019

 (前号からの続き)

 新年早々、母の最期の時のことを書くことをお許しくださいね。先月号では、9月22日に母の89歳の誕生日を祝ったことを書きました。しかし、母は大好きな苺のショートケーキを一口も口にすることは、出来ませんでした。食欲が全くなく、水分補給だけで生きながらえていた状態だったのです。

 この時点で往診医に「病院へ行きますか?」と意思確認をされましたが、喋ることもままならなかった母は手を激しく降って拒否。そんな母の様子を見て、私は、自宅で看取る覚悟をしたのです。往診医からは、後一カ月ぐらいという余命宣告は受けていました。

 そんな中、息子が母の誕生日の2日後、9月24日に帰宅。母は、息子との再会に涙を流して喜び、安心したように息子に手を握ってもらいながら寝入りました。そんな母(祖母)の様子を見た息子は「早く家族全員に会わせた方が、いいよ」と冷静に言ったのです。私は、驚きましたが、毎日母の様子に一喜一憂していたため、母の死を息子ほど迫って考えていなかったことに改めて気づかされました。息子のおかげで<母をもうすぐ看取る>という時間軸に自分を持っていけたと思います。

 妹一家が母に会ったその週末の28日、母は危篤状態に陥りました。酸素マスクと少しの点滴の助けを借りることになりました。訪問看護師さんとは24時間体制の契約です。また、私は鼻からの吸引の仕方を教わりました。そんな緊急時でしたが、意外と落ち着いていて、いよいよ母の最期の時がやって来るという気持ちでした。

 そんな中、パリで撮影をしている「毎アル・ファイナル」のカメラマンから連絡が入りました。母が夢見に立ったというのです!えっ、横浜から抜け出してパリに行っちゃったの!?(笑) 母とカメラマンの付き合いは、2015年頃からですが、この4年間、母は、カメラポジションを気にしつつ、カメラを意識しないで撮影されるという大女優ぶりでした。カメラマンは、母との信頼関係を大切に撮影してくれていたのです。

 カメラマンは、30日の晩に帰国すると、翌朝10月1日にお見舞いと撮影を兼ねて来訪。そして、一通り撮影が終わった30分後に母は、息を引き取りました。穏やかながら、まさしく最後の仕事を立派に終えた主演女優の顔でした。あっぱれとしか言いようがありません。

 今回、母を9年9カ月の介護の後、そのまま自宅で看取り、考えたことがあります。それは、日頃から本人と<最期の時>の話をオープンにしておくことと、本人の要望を知り、かなえるためには、どのような看取り体制にしたらいいのかをシミュレーションしておくということです。死ぬ時もパーソン・センタード・ケア。そうすれば、本人のみならず、介護側の私にも一片の後悔なし。何よりも、最期までブレずに見事に死んでみせた母には、感謝の気持ちでいっぱいです。(終)

2020年1月