コラム「母をみとる」

終わりのはじまり

「2018年11月ごろの母」
(C)NY GALS FILM

 今号より新しい連載「母をみとる」がスタートです。昨年10月1日に母が亡くなり、私の9年9カ月に及んだ在宅介護は、本人の意思を尊重した在宅のまま、みとりをして終わりました。

 2018年7月「毎アル」シリーズ最新作「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル〜最期に死ぬ時。」が公開された時、私が考えていたことは、いずれ誰にでも平等に訪れる「死ぬ時」をオープンに語りたいということと、もう一つは介護を〈終わりなき介護〉として捉えるのではなく〈終わりからの介護〉として考え、準備を進めるということでした。母の在宅での看取り(みとり)は、まさに〈終わりからの介護〉の実現だったと実感しています。

 母の認知症介護と最後の看取りを在宅で体験することで、私にもたくさんの学びがありました。この新連載では、そんな〈終わりのはじまり〉の話を正直につづっていけたらと思っています。

 「死」をどこかでボンヤリと意識できていても、顕在意識の中でしっかりと位置づけ、更には本人が望むような死に方を実現させるために準備するのは、かなりハードルが高いかと思います。

 我々親子は、母の認知症初期の頃から「死」を意識した会話をたくさんしてきました。この会話の意味は、母の「死」の意向と希望を娘である私が理解することであり、何よりも私が〈母の介護の先は死である〉ということを意識することから始まりました。

 死を意識する。

 これが、まず重要な第一段階だと思います。死を忌み嫌わない。当然ながら、母の死を自明の理として受け入れる。このメンタル・トレーニングがあった上での母の認知症に対するケアでした。

 母の強い希望は「延命治療は受けない」というものでしたが、気持ちは変わるかもしれない。変わることは全く問題ないけれど、本人が変わったことを意思表示できるのか否か。

 現在「毎日がアルツハイマー・スピンオフ」の撮影が始まっています。映像ラッシュの中には、私と息子が親密に会話をしているシーンがあります。私は、正直に母の認知症ケアにおいて最も気が重いのは、母が最期の時に向かう際に自分のことを決められず、私が母の命の責任を負わなければならないことだと語っています。

 しかし、私の杞憂に終わりました!母は声が出なかったものの、訪問医に病院へ行くかどうか聞かれた時に、しっかりと手を横に振り拒絶するという意思表示を毅然としたのです。最期の最期まで「死ぬことの意識」を保ち、正々堂々と死と向き合い死んでいったのでした。

 終わりよければすべてよし。しかし、どこで介護者側は、介護される側が「死んでいくこと」の線引きをすればいいのでしょうか。どうしたら母のように逝(い)けるのでしょうか。

 この新連載「母をみとる」の中で書いていく所存です。引き続きご愛読のほどよろしくお願いいたします。

2020年3月