コラム「母をみとる」

終わりのはじまりは、いつから?

(C)NY GALS FILM

 2020年3月31日。私のフェイスブックのアカウントは、4年前の母と娘の写真がアップ出来ると知らせて来ました。しっかりと<他人の情報を管理する>フェイスブックのお陰で、今回の写真を発掘できたという訳ですね。この写真を見て、色々と思うところがありました。

 16年3月31日。この写真の日は、「毎日がアルツハイマー・シリーズ」第3作目の「ザ・ファイナル?最期に死ぬ時。」の撮影日でした。地元の日本庭園には、1作目から撮影でお世話になっています。毎回桜の季節の撮影です。でも毎回母は、桜には全く興味を示さず、鯉の方に興味津々。まるでコントのような撮影が出来る場所でもあるのです(笑)。 ただ、この日は、ちょっとした異変があったので、私も鮮明に覚えています。庭園は、面積5万3000坪という広大な土地の上に12棟の重要文化財が建っています。健脚でも歩くのは、結構大変な広さですよね。

 森谷カメラマンは、我々親子が歩いて庭園に入るところを後ろから追いかけながら撮影し始めました。この時、私は何を思ったのか、入口で無料の車椅子を借り出しました。何となく勘が働いて母は、車椅子が必要になるかも知れないと思ったからです。

 まだ庭園の入口付近でしたが、母の歩きはドンドン鈍くなり、遅れを取り始めました。私がそんな母を振り返り、車椅子に乗るかどうか聞くと、母はそそくさと座ったのです。そしてカメラに向かって一言、「あ〜楽チン!」と照れ隠しの自前のセリフまで言ってくれました。私が驚いたのは、母が私の問いかけに素直に応えて車椅子に座ったということでした。16年は、介護生活6年目。母が初めて娘を拒否しなかった瞬間だったのです。

 母が19年10月に亡くなってから、介護のあれこれを思い返していますが、まさにこういう小さなディテールを見落とさないことは、大事だと考えています。特に母は両股関節が悪い私よりずっと健脚でしたし、私が14年の手術後に使おうとレンタルした歩行器を母用だと誤解し、激怒して捨てようとしたこともあるぐらいだったのですから。

 そんな母が、車椅子にすんなり座る。自分の脚の衰えぶりをカメラの前でもさらけ出す。これは、やはり大きな異変だと言わざるを得ません。しかし、私は、母を少しからかっただけで、車椅子に座ったことを殊更大げさにはしませんでした。ただし、母の身体の衰えについては、しっかりとメンタル・ノートをつけましたが・・・そして、20年の今、ああ、この母の車椅子事件が<終わりのはじまり>だったのではないかと得心しています。

 次号では、そんな母の今後のケアをどう考え、何を実行したのか。何故なのかを書いてみたいと思います。

2020年4月