コラム「母をみとる」

在宅での医療体制

(c)NY GALS FILM

 母の在宅みとりをするには、何をどう準備すればいいのでしょうか。

 まず私には、<母を在宅でみとりをするのだ>という心の準備が必要でした。 実は、私の気持ちは大きく揺れたのです。 目の前で衰えていく母を見ながら、このまま在宅でいいのかどうか・・・ きっと誰でも経験することなのかも知れませんね。

 そんな時に母が、自ら病院行きを拒否し、在宅で逝く判断をしたということは、以前にも書きました。私は、母に救われた想いと同時に、母の想いを叶えたいと強く思いました。そこからの私は、一切迷わず、後も振り返らない。在宅での医療体制を作ることに専念したのです。

 まずは<1人では乗り切れない>と冷静に思うこと。いつも<関口チーム>をその時その時の母の状況にマッチさせながら、チームの一員をオーディションで交代させてもらいました。

 母の在宅主治医への移行ですが、元の主治医より紹介状を書いてもらいました。同じ地元の医師であったことと、地域の在宅医療協会(?)会長だから、というのが主治医の理由でしたが・・・

 さて、紹介された在宅主治医に何回か来てもらいましたが、母がこの大声で話す中年男性の医師をとても嫌がったこと、たった7分間の滞在で¥5000! そして、ある日訪問日に現れず、すっぽかされたことを機に、私の気持ちの中では<解雇>という決断をすることになってしまいました。ただし、もちろん、次の在宅医師の見当はつけていましたよ。ご本人は知らずとも、見事にオーディション落選となった一番目の在宅医師でした。(笑)

 次の若く、とても有能な在宅医師のことを書きましょう。40代のこの医師は、かつて横浜の某大学病院ガン病棟の終末期医療現場で働いていたそうです。私がとても感心したのは、彼はいつも最初に家族である私ではなく、患者である母に話しかけることでした。即、オーディション合格ですよね!

 この新しい医師が、母の在宅での死の覚悟を確認してくれたのです。また、この医師が優秀だと思ったのは、母だけではなくて、私にも十分注意を払ってくれた点です。

 何よりも忌憚なく話し合えたこと。「在宅だとその時が、いつだか分からない。死ぬ瞬間に立ち会えなくてもいいんですよ。お母さんは、喋らなくても全て分かっていらっしゃる。娘さん(私)が、全力で頑張ってくれていることを」。人が最期の時を迎えるには、本人は当然のこと、その家族へのケアも大切だとつくづく思った瞬間でした。

 そして、母の最期の時。「119や110に電話をしないで。僕が必ず来ますから、すぐに(僕に)連絡をください」。これは、テクニカル的なアドバイスですが、<死体検案書>になり、警察の取り調べを受けないためには、知っておくべきことでもあります。

 関口宏子:令和1年10月1日 午後3時26分 在宅で死去。

 私が、母の最期をみとり、すぐに先生に電話をしてから15分もしないうちに来てくださいました。先生は、たまたま隣の区で往診をしていたのです。母は、最後の最後まで強運だなあと感嘆させられました。私にも不思議と涙はなく、母が思ったように逝けて本当によかった。母が逝ってからはや8カ月ですが、やり切った気持ちをずっと持ち続けています。

2020年7月