コラム「母をみとる」

最期の時。

病棟の母、山田トシ子さんと(2015年)
(C)NY GALS FILM

 2020年は、私にとってコロナ禍もあり、我慢の年になりました。いかせん人が集まる上映会も講演も全てキャンセル。よって無収入。さすがに驚きました! 今年は、何とか日本だけではなく、世界がよくなりますように、平和になりますように強く祈念したいと思います。

 さて、新年早々ですが<最期に死ぬ時。>の話。しかも少し視点を変えてグレーゾーンの話を書いてみますね。ちょっと複雑ですので、2回に分けて書きます。

 <最期に死ぬ時。>というのは、拙作「毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル」(18年公開)の副題です。私は、この作品を通して初めて死に方のオプションについて深く考えさせられました。

 これは、「病棟の母」として親しくなった山田トシ子さんと出会ったからと言っても過言ではありません。山田さんとは、私の左の股関節全置換の手術の際(15年11月)、同じ病室になった間柄で、明るく面倒見のいい山田さんは、整形外科病棟の患者さん全員から慕われていました。

 そんな山田さんは、腿(もも)の裏にできた悪性腫瘍の手術後、予後がよくなく最終的には、緩和病院へ転院して亡くなりました。山田さんの最期は鎮静の末、ご家族の言葉ですが「眠ったまま亡くなった」状態でした。私は、山田さんの<眠りながら亡くなった>最期に注目し、このことが私をスイスへと向かわせる結果になり、バーゼルの自死幇助(ほうじょ)クリニックのエリカ・プライチェック博士と出会うことになりました。

 この<鎮静>は、海外では、ターミナル・セデーションと呼ばれ、はっきりと<鎮静死>という死に方として位置付けられています。

 日本ではどうか。<鎮静死>は、否定される医師が多いかと思います。日本で言う医療的<鎮静>は、残り時間が極めて限られ、耐えがたい苦痛がある人に対して鎮静剤で意識を低下させ、苦痛を緩和することと定義されています。

 何よりも余命が数日以内と想定される場合に限るということ。それも持続的な鎮静ではなくて、休息できる時間を確保し、鎮静から起きた後は、症状が緩和されて生活できる<間欠的鎮静>として存在しているのです。この観点から言えば、海外のようにターミナル=終末に至る鎮静死ではないということになります。

 これは、死をもたらすことを目的とした積極的安楽死や医療的自死幇助とは、区別されているということでしょう。新年早々、頭が痛くなるような展開になってきました! ここからが、グレーゾーンの話になります。

 2年前私は、「毎アル・ファイナル」の劇場公開や自主上映にお招きを受け、全国津々浦々、たくさんの方々の親族の最期の時のお話をうかがう機会に恵まれました。そして、気づいたことがありました。それは、東京・横浜・広島・名古屋・大阪・京都でも奇妙な一致があったことです。

 ほとんど70代後半から80代のご両親の最期の時の話でしたが、認知症というよりは、山田さんのようにがん患者であり、最後は<持続鎮静>を受け、病院で亡くなったという共通点です。前述のように残り時間が極めて限られている場合に耐えがたい苦痛があったので、鎮静剤を使用して意識を低下させ、苦痛緩和をした処置だったのでしょう。ただ、なぜか全員が、鎮静を受けて5〜7日で亡くなったという事実です。ご遺族の反応は、山田さんのご家族のように納得し、むしろ眠りながら逝けたことに感謝するというよりも、こんなに早く逝くなんて思ってもみなかったという驚きの声の方が多かったことも共通していました。うーん、本当に「余命数日以内」の人ばかりだったのか……。

 海外の鎮静の終着点は、ターミナル・セデーションとあるように致死ではありますが、鎮静の薬は、オーバードース(過量服薬)しませんし、日本と同じく積極的安楽死とは明確に区別がされています。そして、ここが重要なのですが、鎮静を受ける患者さんの体力、気力は、当然ながら様々なため、一律に5日〜7日で亡くなることは、まずあり得ない。数日かも知れないし、1週間、あるいは数週間に及ぶかも知れない。このことは、「毎アル・ファイナル」にご出演頂いたエリカ先生が、明言されています。

 ここまでグレーゾーンの話を書いたので、日本的にグレーのままにしておき、読者の皆さんの判断に委ねようと思います。

 次回は、<満足死>について書くつもりです。また、母の逝き方のプロセスと、色々知った私がなぜ、エリカ先生の自死幇助クリニックの会員になったのかも書きましょう。

 新しい年は、終わりの死の話からになりましたね!

2020年12月