コラム「母をみとる」

最期の時。②

ヒューゴ先生と中矢さんと

 私が初めて<満足死>という言葉を聞いたのは、松山市で小規模多機能の事業所「あんき」を経営されている中矢暁美さんからでした。中矢さんとも「毎アル・ファイナル」を通して出会い、出演して頂き、その後英国のヒューゴ・デ・ウアール博士の来日の際「あんき」にお連れするなどして交友を深めさせて頂きました。

 今年の賀状で「あんき」の代表を息子さんと交代とのこと。電話でご挨拶した際に、母の最期の時をお話ししたら「おめでとうございます。理想的な死に方!」と喜んでくださいました。中矢さんご自身も、最期に死ぬ時のイメージは、母と同じ。ミニマムの医療介助で在宅でのみとりを希望されているとのこと。そして、そのことをしっかりとご家族と共有して話し合われているそうです。

 この<満足死>ですが、どちらかと言えば、家族のための概念かと思います。中矢さんは、介護の先にある死に対して多くの家族の後悔を見てきたので、どうやったら家族の後悔が少なくみとりが出来るのかを考え続けた結果、この<満足死>にたどり着かれたのです。

 あるおじいさんの話です。施設からどうしても自宅に戻って死にたいという願望を家族全員で叶えようとします。ただ、東京にいたお孫さんの帰郷を待ちたかったので、中矢さんは「あんき」が懇意にしている在宅医にお願いして、おじいさんには、少し点滴の量を増やしてもらいます。もちろん、本人が苦しまない程度の増量で、命を少しだけ永らえる。東京のお孫さんは、無事におじいさんの死に目に間に合い、おじいさんは、願望通り家族が全員いる中、自宅の畳の上で大往生……これもまた、天晴れな最期の<満足死>だと思います。

 このように家族も十人十色で、死に対して大事に思うこともそれぞれ違ってくるでしょう。ただ、共通していることは、「最期の時」に際して、本人も家族も同じ方向を向いているということです。

 認知症ケアは、もちろんパーソン・センタード・ケアが推奨ですが、実は、それ以上に大事なのは、介護の最後の最後が、パーソン・センタード・ケアであり、みとられる側もみとる側も納得できる死を迎えられること。改めて、そんな思いを強くしました。

 さて、私の直系家族は、息子のみ。折に触れて私の「最後の時」の話をしていますが、息子は母(祖母)が亡くなった時に東京在住でしたので、何回も横浜の実家にやって来て、母の最期に向かうプロセスを経験しました。更に昨年の10月には、シドニーに渡り、末期がんの父親をみとりました。父親は緩和ケア病院で亡くなりましたが、腹違いの姉と共に布団を持ち込み、交互に病院に泊まり込んで、父親の最期の時を迎えたのです。父親は、最愛の子ども2人に囲まれて、眠るように息を引き取ったと聞きました。こう考えると、在宅にこだわる必要は、ないのかも知れませんね。どんな場所でも、どんな時でも、死にゆく本人が主役であることを忘れない。ここに尽きるかと思います。

 次回は、今回書けなかった<自死幇助>のことと私が、スイスの自死幇助クリニックの会員であり続ける理由など、書いてみたいと思います。

2021年2月