コラム「母をみとる」

ライフサークル

エリカ先生と私

 新連載が始まって、はや7回。色々な視点から<死>について書いてきました。8回目の今回は、私は死についてどのように考えているのかを書いてみたいと思います。

 私が、初めて<死>を意識したのは、2014年の6月と11月でした。両股関節全置換の手術の際です。2回の手術には、直近の血縁者の付き添いが必要です。私の場合は、母は無理だったので、妹になりました。初めて<万が一は、起きうる>ことはあるのだと意識しました。

 その万が一が起きないように、私がしたことは、股関節手術の素晴らしい執刀医を探すことから始めました。結果、関東で5本の指に入るという執刀医に出会えたことは、本当に幸運でした! しかもイケメン!!(ココ、大事です?)

 ところが!

 11月に左股関節の手術をした時でした。6月の手術は成功していたし、何の心配もしていなかった私でしたが、やっぱり<万が一>は、起きるのだということを目の当たりにしたのです。もう7年前になるので、時効だと思ってこのコラムだけで書きますね。私は、月曜日の朝一番の手術の予定でしたが、前の週の金曜日の最後に手術を受けた人が、亡くなったのです。70代の女性ということでした。麻酔から覚めなかったことが直接の原因のようでした。

 その時初めて観念的ではなくて、リアルに自分も死ぬということを考え始めたと思います。手術から目覚めない可能性もある・・・自分がコントロールできない予期せぬ死。

 それでは、せめてコントロールできる部分で色々と自分の死を準備することはできないかと考え始めて辿り着いたのが、スイスのライフサークルだったのです。

 <自死幇助>という概念。<自死幇助>ができる国や地方自治体は、世界でも増え続けています。しかし、海外から受け入れているのは、スイスだけでしょう。<自死幇助>とは、健全な精神状態の人が不治の病を抱え、死の希望を表明し、医師による薬品幇助を受けて自ら命を絶つ行為のことです。当然ながら、論争を引き起こしていますよね。

 私個人は、16年に撮影で行ったスイスの自死幇助団体、ライフサークルの代表であるエリカ・プライシック博士と出会ったことが大きかったと思います。エリカ先生との話し合いで<死に方>というハウツーを強調するよりも<死ぬことのオプションを持つ>という考え方になり、その一つとして<自死幇助>の権利を持とうと思うようになったからです。

 エリカ先生は、「最後の最後にスイッチを押す時に気持ちが変わってやめてもいいのよ」と言っています。最後は、医師との信頼関係であり、最期の時まで、自分で決める。私は、17年からライフサークルの会員になっています。

2021年4月