コラム「母から学んだ認知症ケア」

「毎アル・スピンオフ」始動!

 2024年1月は、画期的な月になりました。新年も過ぎた頃、かつてのシドニーの映画学校の同僚が、スクリーン・オーストラリアから映画製作費の募集があり、締め切りは、1月末だと教えてくれたのです。今回は、何と、製作費全額の支援! しかも映画製作にキャリアを積んで来た者が、対象だというのです。

 年齢的には、最後の応募になるだろうと思い、申請することにしました。申請締め切り後に分かったのですが、応募者は、1578名! 当選枠は、3名だけです。さすがに少し弱気になりましたが、オンライン面接の10名に選ばれた時は、おおっと思い、希望を持ちました。

 面接は、1時間以上に及び、時々久しぶりの英語にも詰まりましたが、言いたいこと、伝えたいことは、しっかりと言えたかと思います。結果を言うと、見事最終の3名に入ることができました。選考理由は、以下の通りです。

 ①アルツハイマー病に対するユニークな視点 『アルツハイマー病になっても人生は終わりじゃない』ということを一貫して主張し、アルツハイマー病だった実母を被写体に大ヒットした「毎日がアルツハイマー」シリーズ3作品を製作した。

 ②コロナ禍でも自腹を切って撮影を3年間続け、この新作「毎日がアルツハイマー・スピンオフ」でコロナ禍の総括をする英断

 芸術の価値は、他人とは違う視点を持つことです。認知症のポジティブな部分をお話ししてきて10年。ようやく海外でも評価されたかと思うと感慨深いですね。

 以下、企画書です。

 毎日がアルツハイマー・スピンオフ

 認知症の母が逝って、はや5年。母のみとりは、母が望むように、母と父が建てた家の母の部屋だった。母の私に対する最期の言葉は「ありがとう」。2019年10月1日のことだった。

 それからわずか4カ月。世界は一変した。それも私が生まれ育った横浜から始まった。

 20年2月3日、横浜の大黒埠頭に寄港した大型客船ダイヤモンド・プリンセス号から新型コロナウイルス感染症の集団感染が起きたと報道されたのだ。672名の感染が確認された。

 その後、緊急事態宣言が続き、ほとんどの店がシャッターを下ろした。突然に現れたコロナウイルス感染症とは何だったのか?

 私は、コロナ禍での撮影を続けた。一体何が起こっているのか? とにかく目の前で起こっていることを撮影することが、ドキュメンタリー映画の役目の一つである。 世界は、瞬く間にロックダウンされ、日本では、緊急事態宣言が何回も出された。そして、21年5月24日から高齢者を最前線にコロナワクチン接種が始まった……。

 過去を語らなければ、今は見えて来ない。

 「毎日がアルツハイマー・スピンオフ」は、認知症から新型コロナウイルス感染症へ。そして、高齢者たちは、接種後にどうなったのか。人々の暮らしにこの新型コロナワクチンは、どのような影響があったのか。英国へ飛び、高齢者としてワクチンを4回接種した私の友人であるマーガレット夫妻に、一体何が起きたのかを明らかにする。

 亡き母が教えてくれた、認知症になっても望むように生きて、死んでいくために大切なことは、このコロナ禍で守られたのだろうか。

 24年4月17日大安の日、新型コロナワクチン健康被害で、遺族会と患者会が、国に慰謝料を求めて集団訴訟を起こした。

 「毎日がアルツハイマー・スピンオフ」は、まさに過去を語り、今を見つめる映画になるだろう。「スピンオフ」とは、「予期せず生まれた副産物」のことである。

 6月下旬の英国から撮影開始です。心身ともに鍛えて、まずは撮影期間を乗り切りたいと思っています。

2024年6月