コラム「母から学んだ認知症ケア」

陳さんとの出会い

「中華料理は、火が肝心!」

 9月中旬に70代半ばの遠戚の叔父が、外で大転倒し、そのまま救急搬送されてしまいました。人生、本当に何が、あるか分かりません。買い物をして両手に荷物を持ったまま、木の根っこにつまずいて転倒してしまったのです。顔から突っ込んで、鼻の骨を折り、左の脚を強打。私に病院から連絡が来て、すっ飛んで行きました。夜の8時半頃で、私はお風呂に入ろうかという時間でした。

 叔父は、救急病棟にいましたが、意識もしっかりしていました。救急病棟の医師は、顔の鼻の骨折は、何ともやりようがなく、このまま骨がくっ付くのを待つしかない、問題は、脚です、と言うのです。出血が筋肉に侵入(?)し、血腫が、出来てしまうと壊死につながるという恐ろしい話でした。直ちにカテーテルによる手術が必要なのですが、執刀医を朝まで待つということでした。私は、一旦朝の5時頃に帰宅しました。

 同じ日の面会時間が始まる昼の1時に叔父に会いにいくと、既に午前中に手術を済ませ、落ち着いた様子でした。手術は成功し、血腫は、免れたとのこと。ホッとしました。叔父は、4人部屋にいましたので、皆さんに簡単な挨拶(あいさつ)をしました。そして、叔父の左隣が、陳さんだったのです。

 テーブルの上に千円札を置いて、ベッドに腰掛けていらっしゃいました。お話を聞けば、午前中にティッシュとお水のボトルを買ってきてくれる病院のスタッフを待っているということでした。未(いま)だ現れないスタッフに「私でよければ、売店まで行きますよ」と声をかけました。「悪いからいいよ」と陳さん。そんなやり取りがあって、私は売店へ行き、陳さんのための買い物を済ませました。

 大喜びしてくれた陳さんは、横浜中華街のコックさんだったと教えてくれました。ご自分のお店を持ち、ずーっと働いてきた。何よりも私が、驚いたのは、現在90歳!! しっかりされ、かくしゃくとされています。引退された陳さんは、86歳の妻と2人暮らしで、今も家では、料理をしていると言うのです。しかし、食材を買い出しに行った時に転倒をして、大腿(だいたい)骨を骨折。即、入院となってしまいました。

 そんなやり取りがあってからは、陳さんとの会話を楽しむことになったのです。お子さんは、3人で全員帰化したけれど、陳さんは機会を逃してそのまま。今流行(はやり)の通名は、使わず、使う必要性もないと思って、中国人であるアイデンティティーを保持しているとのこと。

 そして、午後になると検診に来る看護師さんを口説くのです。叔父のベッドから陳さんの声がします。「君は、とっても可愛いよ」「君のここがいいところだよ」。最初は、軽くあしらっていた看護師さんも段々その気になってきます。いやあ、そのプロセスの面白かったこと!

 長きにわたり、認知症について連載をしていますが、初めて、認知症にならないためには、どうしたらいいのかを陳さんから学んだ気がします。

①献立を考え、食材を買いに行く
②料理をする
③一緒に食べる夫や妻がいて、2人で会話を楽しむ
④本でも新聞でも声を出して読む
⑤認知症にならないために、など気にせず、人生を笑って過ごす
⑥入院になったらなったで、看護師さんを口説いて、大いに楽しむ

 人生には、様々なことが起きますが、陳さんを見ていると、どんな状況になっても人生をエンジョイする心が大事だと分かります。私も陳さんのようにありたい。万が一入院する事態になっても、最近多くなっている男性の看護師さんを口説いて楽しみたいですね!

 肝心の叔父の入院は、1週間程度で済みました。叔父の退院の日、陳さんは、救急病棟の入り口まで歩行器を使って別れに来てくれました。ハグをして握手をして「陳さん、カッコイイ」と耳元で囁(ささや)きました。全員で大笑い。辛(つら)くない別れになりました。

2025年10月