コラム「母から学んだ認知症ケア」

某製薬会社での講演

心配屋©水木プロダクション

 「毎アル」シリーズのおかげで、私は、映画と共に北は北海道から南は沖縄まで、上映と講演をさせて頂きました。全国の「毎アル」ファンの方々にお会いできる素晴らしい機会となりました。コロナ禍がなければ、きっとまだ続いていたと思うと、本当に残念です。

 さて、時には、「毎アル」の映画上映はなく、私の講演のみということもありました。今から10年近く前のことでしょうか。私の脳裏に深く残っているものに某製薬会社での講演があります。この製薬会社は、まだ認知症の薬は開発しておらず、開発したいと思っている、とのことでした。当時から認知症の薬には力を入れず、ケアに力を入れている私の話が聞きたい? やや驚きました。「認知症になっても十人十色」。そんな十人十色の認知症の薬が出来るのかと私は、懐疑的でした。

 私の記憶は、全て映像です。神奈川県の某駅に降り立つと、製薬会社からの車が待っていて、会社に直行しました。広大な敷地の中に神社が建っています。動物実験をした動物たちを弔うためだと聞かされました。

 要塞のような建物のセキュリティは、大変に厳しく、ようやく中に入れたという印象でした。私は、何十人もの社員の人たちに取り囲まれて、移動しました。その中には、帰国子女の人たちも多く、時々奇妙な日本語になりつつも会話をしていましたが、あまり深く考えていませんでした。

 会社の中に大きな講堂があり、そこで初めて外国人がたくさん座っていることに気づいたのです。一瞬、英語で話すのかと錯覚したほどの人数でした。皆さん同時通訳用の受信機をつけています。大きな違和感を感じましたが、いつもの通り講演をしました。特に認知症初期の母が認知症の薬を服用した件(くだり)は皆さん身を乗り出して聞いています。

 母は、最初の薬で大興奮に陥り、その興奮を鎮める2番目の薬では、まるで殺人現場のように倒れ込んで寝てしまったのです。「薬は、恐ろしい。特に脳に直結する薬は、万人に効くものを開発できるのか」。はっきりと疑問を呈しました。そして認知症はCure(キュア、治療)よりCare(ケア)である、と。実際それ以降、母は認知症の薬は、亡くなるまで服用しませんでした。正確には、服用しなくても楽しいエピソードを家族と共有しながら認知症を生きていることを伝えました。

 ため息が聞こえたような気がしました。そりゃそうですよね、製薬会社ではっきりと言ってしまったのですから。事前にリサーチしていた人相の悪いフランス系CEOが、退出していきました。

 2026年の今から振り返って、グローバリズムが、まさに始まった時だと理解できます。忘れられないのは、日本人の部長さんが、会議は全て英語になり、助けて欲しいと悲痛な声でおっしゃったことでした。日本の会社なのになぜ英語? グローバリズムとは、単なる英語を話す「欧米化」なのか? 私は、日本文化のアイデンティティをしっかりと持ち、日本語脳で国際市場に打って出ることが大事だと思っているバリバリの反グローバリストです。

 そういった意味からも決して忘れられない講演になったことは、確かです。ちなみに結局、この製薬会社は、認知症の薬は開発しませんでした。