認知症とは

1.プロローグ

 21世紀は科学技術が20世紀を凌駕して飛躍的に発展する世紀になることは間違いないでしょう。ヒトの全遺伝子の解読終了やIT革命がその先駆けを告げているようにもみえます。しかし、その一方で社会の少子、高齢化は一段と進み、その対策にも直面しなければなりません。中でも脳の老化に伴う認知症についてはなお未解明な部分が多く、その克服は21世紀の人類が当面するもっとも重要な課題になるはずです。このペ-ジではこれまでにわかっている認知症についての医学的知識をわかりやすくまとめてみました。

2.認知症の定義

 認知症というのは人が成人に達してから、つまり十分に脳が成長発達してから後に、何らかの原因で病的な慢性の知能低下が起きる状態をいいます。ですから知恵遅れや、急性の意識の障害などでおきている認知障害は認知症とは言いません。

 認知症の定義については時代とともに少しづつ変わってきています。かつては後天的に知能が障害される、という条件のほかに「脳の病変」によることや「不可逆性」つまり元に戻らない、ということも認知症であることの定義に入っていました。けれどもたくさんの認知症疾患が知られるようになり、病気の進展具合や治療可能な認知症がみつかるにつれて厳密な定義は今の認知症の実態に合わなくなってきました。そこで、最近では認知症を広く定義して考えるようになっています。専門家の間でもっとも広く使われている診断基準はこうした考えで作られています。

診断基準

DSM-5による認知症の診断基準(2013年)

A.1つ以上の認知領域(複雑性注意、遂行機能、学習および記憶、言語、知覚-運動、社会的認知)において、以前の行為水準から有意な認知の低下があるという証拠が以下に基づいている

(1)本人、本人をよく知る情報提供者、または臨床家による、有意な認知機能の低下があったという概念、および
(2)標準化された神経心理学的検査によって、それがなければ他の定量化された臨床的評価によって記録された、実質的な認知行為の障害

B.毎日の活動において、認知欠損が自立を阻害する(すなわち、最低限、請求書を支払う、内服薬を管理するなどの、複雑な手段的日常生活動作に援助を必要とする)

C.その認知欠損は、せん妄の状況でのみ起こるものではない

D.その認知欠損は、他の精神疾患によってうまく説明されない(例:うつ病、統合失調症)

(日本精神神経学会 日本語版用語 監修、高橋三郎、大野裕監訳 DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル 東京:医学書院:2014)

3.認知症はなぜ起きる?(病的なものとの見分け方)

 脳の働きは脳の神経細胞の活動がもとになっています。脳神経細胞の中でも知覚や運動を司る神経細胞の他、人では記憶や学習、判断をする神経細胞が発達して脳を形作っています。この知能と関係する神経細胞の活動が障害されると、それまで出来ていた記憶や判断の力、かつて学習した事柄の理解などが次第に低下していきます。障害の程度がある限度を越えると認知症となってしまいます。脳の神経細胞を傷害し、働きを落とす病気はみな認知症の原因となります。

 細胞の老化によっても神経細胞の働きは落ちます。その結果として物覚えが悪くなったり、判断力が衰えたりはしますが、病気によって起きる認知症とは違います。老化による障害は衰えがゆるやかで、記憶障害も軽いところで止まっています。日常の生活に大きな支障が出ることはありません。ところが、認知症による物忘れは進行性で、今言ったこと、今したことさえすぐに忘れてしまう健忘に至ります。その結果として日常生活のあちこちに支障が出てくるのです。

4.症状の現れ方(中核症状と行動・心理症状)

認知症状の構造
「行動・心理症状」
感情障害
易怒、興奮
当惑、混乱
幻覚、妄想
作話

反応性の症状
中核症状
行動・心理症状
「中核症状」
記憶障害
見当識障害
失認
失算
失書
その他知的障害
脱落していく

 認知症の症状の現れ方は認知症を起こしている原因疾患や脳のどのあたりの神経細胞がおもに傷害されているかによっても違いが出てきます。認知症症状は錯綜としているようにみえますが、初期は物忘れで始まるのが普通です。記憶障害が次第に深刻になり、今がいつで、どこにいるかの見当も曖昧になってきます。認識する力が落ち、思考力が落ちて周囲の状況の判断がつかなくなります。その結果当初はできていた日常生活や簡単な行為さえもとんちんかんなことになってしまうのです。認知症症状のうちで、障害の中心となっている記憶の障害や見当の障害など知的能力の障害で出ている症状を認知症の「中核症状」と言っています。認知症の「中核症状」は軽い状態から重い状態へと進行していきます。

 一方、認知症患者さんは障害された知的機能を頼りに日々生活していかなければなりません。理解力が低下するにしたがって戸惑いや不安は増していきます。日常生活での失敗もありふれた経験となっているはずです。ですから認知症患者さんには不安、焦燥、易怒、興奮が出やすく、被害的で妄想的な解釈が生まれやすいのです。このように心理的な反応として出る異常な行動や精神症状を認知症の「行動・心理症状」(BPSD=Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)といいます。これも認知症症状の一部です。「盗った」「帰らせてもらいます」で介護者が困るのもこの行動・心理症状です。

5.原因は何か?

脳卒中後の認知症
認知症の原因疾患

 認知症の原因疾患は多種多様です。脳以外の身体疾患で起きる認知症も勘定に入れると100種を越える認知症の原因疾患があります。しかし、私たちが日常よくみかける認知症の多くは脳の病気であるアルツハイマー型認知症と脳血管性認知症によるものです。認知症の約90%をこの二大疾患で占めます。認知症の病気でもっとも多いとされているのがアルツハイマー型認知症です。これは脳の中にβアミロイドたんぱくと呼ばれる異常なタンパク質の塊がたまり出すことが原因のひとつとされています。これらがしだいしだいに脳全般に多数蓄積することで健常な神経細胞を脱落させて通常の老化以上に脳の働きを落とし、脳萎縮を進行させると考えられています。なぜ、βアミロイドたんぱくがたまり出すかはよくわかっていません。

βアミロイドたんぱく

 一方の脳血管性認知症は脳の血管病変、おもに多数の脳梗塞によって梗塞周囲の神経細胞や神経繊維が障害されておこる認知症症の総称です。脳卒中後の認知症といってもよいでしょう。多発梗塞性認知症と呼ばれていた時期もありました。我が国では以前は脳血管性の認知症が多いとされていましたが、最近はアルツハイマー型認知症が7割近くを占めています。

脳萎縮

6.認知症の診断

 診断で重要なことはまず認知症の存在を確認することです。認知症と言えるためには記憶障害や見当識障害、書字、計算能力など知的な機能が正常者に較べて落ちているかどうかを確かめます。そのために知的機能を測る様々な簡易知能テストが考案されています。

 我が国では改訂長谷川式簡易知能評価スケ-ルやMMS(注:日本ではミニメンタルステイト)と呼ばれる知能テストが認知症の有無の選別によく使われています。いずれも30点満点で長谷川式では20点以下、MMSでは24点以下だと認知症が疑われます。しかし、知能テストはあくまでも知的機能低下の程度を表すだけなので、点数の多い少ないだけで認知症と診断できません。認知症以外の精神疾患や意識障害でも同じように知的機能が低下するからです。そのうえで認知症を起こしている病気を検索していきます。

 そこで、脳の画像診断が重要になってきます。X線をコンピューター処理して脳画像を作る頭部X線CTが診断に役立ちます。脳萎縮をみつけたり、脳梗塞の場所や数がわかります。X線CTのほかに、MRI(核磁気断層撮影画像)を併用するとより詳細に微細な脳梗塞や脳萎縮を検出できます。脳血流と脳代謝の状態を画像化できるポジトロンCTなども使われています。また、脳の状況を撮影できるアミロイドPET(陽電子放射断層撮影)を使うことにより、脳内のβアミロイドたんぱくがどのくらい蓄積しているか鮮明に可視化できるようになりました。認知症疾患の診断の確度は高まってきています。

7.簡単な予測診断法

 認知症の始まりは物忘れですからこの物忘れが良性のものか悪性のものかが予測の手がかりとなります。良性の物忘れは、人名やある事柄のど忘れです。ひょっとしたはずみや手がかりがあると思い出せます。想起が困難ということで、多くの高齢者に普通にみられます。

 一方の悪性の物忘れはその時には理解しているようにみえてすぐ後で忘れます。そのことの自覚が薄く、家族などが気づきます。

 認知症予測について様々に研究が行われていますが、今のところ遅延再生という、覚えた事柄や物品を少し時間がたった後でどのくらい想起できるかのテストが予測に役立つというのです。将来、認知症に進行する人はこの今覚えたことをしばらくして思い出す能力が早くから落ちるといわれています。

大友式認知症予測テスト

 本テストは認知症のごく初期、認知症の始まり、あるいは認知症に進展する可能性のある状態を、老年者(60歳以上)自身が、あるいは配偶者または同居者などが簡単に予測できるように考案されたものである。

 このテストの内容は、若い世代にも知識としてぜひとも持っていて欲しいものである。そうすれば世代間の摩擦は避けられ、家族間の思いやりも育てるよすがともなり、ひいては潤いのある社会への一助となると考えられるからである。

<採点法>ほとんどない=0点 時々ある=1点 頻繁にある=2点
項目 点数
同じ話を無意識に繰り返す
知っている人の名前が思い出せない
物のしまい場所を忘れる
漢字を忘れる
今しようとしていることを忘れる
器具の説明書を読むのを面倒がる
理由もないのに気がふさぐ
身だしなみに無関心である
外出をおっくうがる
10 物(財布など)が見当たらないことを他人のせいにする
合計
▼評価▼
0〜8点=正常 9〜13点=要注意 14〜20点=専門医などで診断を

8.その他どんな病気が認知症につながるか?

 アルツハイマー型認知症をはじめ、神経細胞の働きを落とす慢性の脳の疾患は大部分が認知症につながっていきます。アルツハイマー型認知症や脳血管性認知症ほど多くはありませんが、次のような脳の病気が認知症になります。

レビ-小体病:  脳血管性認知症についで多いとされています。発病初期から動作が緩慢になり、存在しないものや人が見える幻視、存在しないものを聞いたり感じたりする幻覚が出てきます。尿失禁もみられ、認知症の経過がやや早い傾向があります。

前頭側頭型認知症:  10年以上と経過が長く、意欲障害や性格変化が目立ちます。早くから失語状態になる場合もあります。X線CT上では前頭側頭の著しい萎縮が特徴となります。性的な異常行動の出やすいピック病といわれる病気もこの一群に入ります。この他に歩行障害などの運動障害を伴う認知症疾患として「進行性核上性麻痺」「遺伝性脊髄小脳変性症」「パ-キンソン病」などの病気があります。

体の病気で認知症につながるものとしては

慢性アルコ-ル中毒:  長期のアルコ-ル依存で、脳が萎縮してしまうことと慢性的ビタミンB群不足、低栄養などが複合して起こります。なかでもビタミンB1欠乏で起きる認知症をウエルニッケ脳症と呼んでいます。

甲状腺機能低下症:  甲状腺ホルモンが慢性的に不足し、精神活動が不活発になって起きる認知症症状です。この他にも「葉酸欠乏」「慢性肺機能低下」「貧血」「肝硬変による血液中アンモニアの上昇」「腎不全による尿素や老廃物の蓄積」など脳の働きを落とす全身疾患は認知症につながっていきます。

9.認知症と紛らわしい病気

 認知症症状を示してはいるものの本当の認知症ではない、という病気も知られています。この一見認知症にみえる状態を仮性認知症と呼んでいます。仮性認知症を示す代表的な疾患としてうつ病があります。うつ病は本来、感情の障害で知能の障害はありません。気分が沈み何事にも興味を失い、食欲低下と不眠にさいなまれます。若年者の場合はうつ病とわかりますが、高齢者では何もしない、できない状態が認知症と紛らわしくなります。時には妄想を言うこともありますから認知症と見誤られるのです。放置すると自殺したり、慢性化で寝たきりに移行してしまいます。早めの診断と治療が大切です。

 この他に認知症と紛らわしい状態に「せん妄」という病態があります。これは重い病気や骨折などの外傷、強いストレスが引き金になって一時的に意識が曇り、記憶障害や見当識障害が起こった状態です。幻覚や妄想が出て行動がおかしくなります。見た目には認知症と同じ症状を示しますが、認知症の起こりかたが急激で、一両日のうちに一気に重い状態になり、体の病気やストレスが軽快すると消失します。正常だった高齢者が入院や病気をきっかけに急に悪化するのが特徴ですから注意が必要です。

10.認知症の予防は可能か?

 認知症の予防は認知症を起こしているそれぞれの病気の予防ということになります。認知症の大部分を占める脳血管性認知症とアルツハイマー型認知症それぞれについていくつか予防の方法が提唱されています。

 脳血管性認知症は脳血管障害、中でも脳梗塞が元で起きる認知症ですから脳の血管に血栓が出来ないように脳血流を整えていることが大事です。脳梗塞は生活習慣と関わりの深い病気です。高血圧、糖尿病、高脂血症の三つが大きなリスクファクタ-となります。不飽和脂肪酸の多いバランスのとれた食事、適度な運動と精神活動を心がけていることが認知症予防に役立ちます。

 アルツハイマー型認知症については、これまでの疫学調査で言えることは、βアミロイドたんぱくが脳にたまるのを、抗酸化物質が阻止するらしいこと、精神活動を活発にすると神経細胞死を遅らせることができることなどがわかっています。活性酸素を押さえる抗酸化物質としてはビタミンE、魚油の成分であるDHA、銀杏の葉のエキス成分のギンコライドなどが知られています。バランスのとれた食習慣と適度な運動、活発な精神活動をいつまでも維持し、意欲を持って生活していることが結果的にアルツハイマー型認知症の発病を遅らせることにつながります。

11.治療の現状

 アルツハイマー型認知症については、その原因の一つとされるβアミロイドたんぱくの蓄積を止めて認知症を完治してしまう薬はみつかっていません。

 記憶障害や見当識障害は神経伝達物質のアセチルコリンが含まれる神経細胞が壊され、アセチルコリンが減ることによって引き起こされると考えられています。ただ薬や食べ物でアセチルコリンなどを外から補う手法は失敗続きに終わりました。

 そこでアセチルコリンを分解している酵素の働きを阻害し、アセチルコリンの働きを少しでも強めて記憶をよくする薬「アセチルコリンエステラーゼ阻害薬」(商品名アリセプト、レミニール、イクセロン、リバスタッチなど)が実用化されました。

 脳内のグルタミン酸という神経伝達物質が過剰になると記憶に関係する神経の働きが悪くなります。このグルタミン酸から神経細胞を守る薬メマンチン(商品名メマリー)もよく知られています。

 しかし、これらの薬は減った神経伝達物質を補う役目などいずれも症状の緩和を目的とした対処薬で、やがて効果が見られなくなってしまいます。

 そうしたなか、2023年にβアミロイドたんぱくに結合して除去する薬「レカネマブ」(商品名レケンビ)が日本でも承認されました。原因物質自体を取り除く点で従来の薬とは一線を画しています。治験の結果、投与を受けた人はそうでない人より認知機能の悪化が27%抑えられたということです。

 ただし、レカネマブはβアミロイドたんぱくを除去するだけで、死滅した神経細胞を元に戻す効果はありません。脳の微少な出血や脳のむくみといった副作用も見られます。さらに軽度のアルツハイマー病と軽度認知障害(MCI)の人にしか使えないなど課題は少なくありません。

 それでもアルツハイマー型認知症の原因が少しずつ分かるにつれ、それに対応した薬の開発は盛んに行われています。今後も画期的な新薬が市場に登場することが期待されます。

 脳血管性認知症の治療の目標は脳血管障害そのもの、あるいは後遺障害の治療に置かれます。傷害部位周辺の血流低下や代謝の低下を薬物によってある程度まで改善することは期待できます。脳血管性認知症の初期によくみられる感情失禁や抑うつ症状に少量の抗うつ薬や脳代謝賦活薬が使われます。

 また、認知症に伴う不穏、興奮、妄想的反応などいわゆる行動・心理症状には少量の向精神薬が有効なことがあります。症状が穏やかになるだけで本人も介護者もおおいに助かります。

12.日常生活の留意点

 認知症にならないような日頃の生活習慣が大切ですが、認知機能が下がってきたと深刻に感じる、あるいはアルツハイマー型認知症を宣告されたら早めに自分の意志を配偶者なり信頼できる身近な親族に伝えておくことも必要です。判断力や記憶力が今以上に衰えた時に備えておくのです。新しい成年後見制度を定めた民法の改正が行われましたが、「任意後見」という制度も同時に発足しました。これは本人に判断能力のある正常なうちに将来認知症症や精神障害にかかって判断能力がなくなってしまった時に備えてあらかじめ後見人を決めておくという契約です。つまり、自分の意志で将来わからなくなったときに自分の代理をして下さいと配偶者あるいは信頼する身近な人物に頼んでおくのです。この契約は口約束ではなく、公証人が正式に作成した公正証書というれっきとした文書でなければなりません。そして家庭裁判所に申し立てて家庭裁判所が決定してはじめて効力を持ちます。これなどは、自己の決定権を尊重したリビングウィルと同じ思想といえましょう。