家族の会だより

認知症の人の幸せとは

 2月1日に京都府支部の「男性介護者のつどい」に女性ですが、サポーター(接待、専門職・看護師)として参加しました。参加者は8人の男性介護者(うち事前学習の方1人)と4人のサポーターでした。

 要介護3の妻が1年半前、グループホームに入所したAさんは「認知症となった妻は幸せなのか。これでいいのでしょうか」と投げかけてこられました。Aさんの息子さんは「悩むことがなくなり幸せでは」と言われているそうです。孫を見て「かわいいな」、食事を食べ「美味しいな」と話されるそうです。それでも、旅行が好きで一緒に海外をはじめ旅に行っていたのに、今は行けず、せいぜい半日の散歩くらいとのこと。人のために働いてきた妻なのに、こんな形になり申し訳ないとも思うAさんでした。

 共にアルツハイマー病だった両親を看取り、姑の介護中の私の思いも話させてもらいました。生きていれば87歳の母、子ども心にもいじめられているなあと思うような嫁姑の関係、我が道を行く父で苦労し、認知症の初期には「お金がない、忙しい、忙しい」と口にしつつ、毎朝、今日することが分からず、下着姿で廊下を往復していた母。徘徊があり入所し、職員さんにその人生を含め大事に介護してもらいました。お金のこと、仕事に追い回されずに済む生活、やさしく、丁寧に見守ってもらい母の人柄をよくわかってくれている人たちに囲まれての生活は幸せだったように思います。

 しかし、娘の私は母が認知症にならなかったら、今ならひ孫がいることを喜び、かわいがり、自分が出来なかった人生を歩むことが出来ている子や孫を、頼もしく見ることができる幸せを感じられたのにと悔しく思う面があることを話しました。

 幸せはその人がどう思うかで変わります。認知症の人の幸せは、その人らしさを大事にしてくれる人々との暮らしがあることではないでしょうか。それが尊厳でしょうか。

 鎌田松代・認知症の人と家族の会理事・事務局長

2020年3月