家族の会だより

共生の難しさを痛感する時代

 アルツハイマー型認知症の母が亡くなって10年がたちます。60代中頃から不調を訴えたものの自分で症状に気がつき病院に通っていたため、家族としてさほど負担も感じず、会の“つどい”で頻繁にされる苦労談もなく穏やかでした。しかし、亡くなる半年前くらいは意欲をなくし、何もしたくない、もう死にたいと口にすることはありました。72歳で亡くなった後、荷物を整理した際、痴呆症と呼ばれていた頃の新聞記事の切り抜きや脳トレの本が出てきました。本に最初の頃は書き込みがあったものの、亡くなる直前はほぼ記載もなく、手を付けた感じもない状態でした。その頃の不安や口惜しさ、絶望を思うと、今も切なさを感じます。

 母の死後、私の住む福島県は震災が起き原発事故が引き起こされました。普通に暮らすことが厳しい状況に直面しました。フクシマとそれ以外に区切られた断絶が起こり、不安やストレスから認知症になったという話も聞きます。生きていくのに迷惑がかかると自ら命を絶つ方もいました。今、新型コロナウイルスで生活が制限され、新しい生活様式の中、対面での交流の難しさ、外出規制、ウイルスの恐怖、感染の自己責任、誹謗・中傷の不安、行動も制限され、本人や家族の不安やストレスは極限にきていると感じます。

 認知症では共生と予防が取り上げられています。感染症も共生と言われますが、未知・不安なことに触れたくない、なりたくないという社会の意識を感じ、それが差別、排他、不安を増長させ、生きる意欲を無くす方向に向かわせるように思えます。認知症の取り組み、原発事故時の風潮とかぶるように思えてなりません。

 9月はアルツハイマー(認知症啓発)月間です。会として啓発資料配布やライトアップなど取り組みを行います。この厳しい状況下、どれだけの行動ができるかわかりませんが、認知症になっても安心して暮らせる社会に向けた活動を少しずつでも続けていきたいと思います。 芦野正憲・認知症の人と家族の会理事

2020年8月