家族の会だより

支え支えられ前向きに活動

 2004年に夫が「若年性アルツハイマー病」の診断を受けました。

 ちょうど、定年を迎え、これからゆっくり人生を楽しんでほしいと思っていたさなかでした。私は県の保健所や病院で管理栄養士として働いていて、2年繰り上げて早期退職しなければならなくなった現実に、当時は口惜しくてなりませんでした。

 友人、知人から「ご主人はどんな症状?」と聞かれるのが、とても辛かったし、私自身の人生計画も台無しになったことで、夫を恨みました。優しかった夫が急に怒りだしたり、いわゆる徘徊をしたりし、ついには養父(夫の伯父)と口論になって、養父に暴力を振るいました。

 許せない養父から私たち夫婦は自宅を追われ、近くで借家住まいとなりました。最初は、初めての夫婦水入らず生活を楽しむ余裕もありましたが、代わりがいない一人介護は、ストレスでいっぱいになりました。嫁という立場での苦労もありました。養母が他界した折、預金を下ろすために、成年後見制度の利用が必要になりました。夫に相続させたくない気持ちの養父は、調停を申請しました。裁判所の調停員の方や成年後見監督人の司法書士の方に心温まる適切なサポートをしていただき、“法は正義”と実感しました。

 家族の会との出会いは、夫の発病から3年を経過した頃です。知人の保健師さんが顔色のさえない私を見て、地元の地区会を紹介して下さいました。その時は乗り気ではなかったのですが、せっかくのお誘いなので、「顔を潰すわけにもいかないなあ」という気持ちでした。

 それでも、会員の皆様から「辛かったですね」と優しく共感していただいたことで、沢山の涙が溢れ出てきて、気持ちも行動も前へ進むことが出来ました。在宅介護10年と2年の施設入所の後、4年前に夫を看取り終えました。その後も家族の会で、沢山の学びをいただき、今も、支えたり支えられたりの関係で活動を続けております。

 神原 千代子 認知症の人と家族の会理事・長崎県支部代表

2021年2月