家族の会だより

認知症の人と家族の狭間に立ち

 昔から祖父は威厳があり私にとって怖い存在でした。その祖父が私の短大合格を聞き、涙を流し喜んでくれました。ただ、以来感情失禁が目立つようになり、祖父に違和感を覚えました。案の定、祖父は脳梗塞で倒れ、脳血管性認知症で話もできなくなりました。

 祖母はその厳格な夫に逆らう事なく従い、娘の嫁ぎ先を訪れる事だけを楽しみに生きてきました。その祖母が祖父の介護で外に出られないまま1年が過ぎ、介護中に祖父の事をつねったり叩いたりしている現場に居合わせた事が何度もありました。そして祖父が他界し、祖母も様子が変わってきました。何度も同じ質問を繰り返し、徘徊し、近所の人に迷惑をかけるようになりました。

 母が祖母の介護をする姿を見てきました。親は嫁が介護するのが当たり前の時代でした。その母も70代になり、徐々に鬱状態となり認知症の症状も出てきました。余談ですが、父は母をとても愛し、母が認知症になっても受け入れられず、転倒による硬膜下血腫で何もできなくなった母の入院先に毎日通い、食事を口の中がいっぱいになるほど無理に詰め込んでいました。

 今思えば、父の母に対する愛情だと思います。私がヘルパー資格を取ったのも母の認知症がきっかけでした。実家に帰る度、様子が変わっていく母の姿を見るのがとても辛く、デイサービスを利用していた母が、「歌忘れたんよ。歌教えてよ」と泣きながら一緒に「ふるさと」を歌ったのを覚えています。

 家族の会と出会ってから、20年になります。認知症の方と関わる日々で、家族の代わりに友人として数時間を過ごします。大半の方は自分の話を聞いてくれる人の訪問を心待ちにし、笑顔で迎えてくれます。それでも、認知症の人の気持ちを大切にしたい一方で、介護で疲れきっている家族の負担軽減を重視した入所サービスに繋げることも多く、「何故(介護対象の方が)家に居てはいけないの? 私は頑張ってきたのに」と泣きながら訴える方もおられます。本人の想い、家族の想いの狭間に立ち葛藤する毎日を送っています。

 認知症の人と家族の会理事 和歌山県支部代表 梅夲 靖子

2021年2月