家族の会だより

家族だからこそできないことがある

認知症の人と家族の会秋田県支部世話人・猪股祥子

 実母を自宅で介護している彼女は医療職である私の同僚です。認知症の人やそのご家族と関わる経験もそれなりにあったので、比較的すんなりと受け入れることができたといいます。同じことを何度も聞き、不思議な言動や行動が増えていっても、教科書通りの母親の変化に、少し客観視できる自分を楽しむくらいの気持ちで毎日過ごしていると聞いていました。

 その日、彼女の様子がいつもとは明らかに違っていました。

 「叩いちゃったのよ、母の顔を。そしたらね、あざになっちゃって…。消えないの。もうすぐ一週間…」。イライラが募って、つい手をあげてしまったこと。叩いた掌が痺れるくらい痛かったこと。デイサービスの職員さんに翌朝このあざをどう説明しようと必死に考えたこと。叩かれたことを忘れている本人から毎回あざの理由を聞かれること。そのたび自責の念にかられ辛い、と…。止まらない涙は、母親へのすまなさは勿論、自分自身の情けなさだと話してくれました。私は、一緒に泣くことしかできませんでした。彼女の気持ちは、まさに、私の気持ちでもありました。

 時代がどんなに新しくなっても、それぞれの家族の形に応じて、本人の思いも家族の思いもきっと変わらないのだと思います。一方で、自分がその立場になったら、“大変”といわれながらお世話されたいとは思いません。それなのに、親の介護を“大変”という自分たちがいます。介護は、そのこと自体が大変なのではなく、初めての体験ばかりで先が見えないことによる戸惑いなのだと思います。「家族の会」のつどいでは、経験者である先輩たちが自らの体験を赤裸々に語ってくれます。そして、自分のできなさも全て受け入れてくれます。実はそれこそが、戸惑いと不安の膜に覆われて身動きできなくなっている自分自身を取り戻す力になります。

 私も彼女も、認知症の人とそのご家族に仕事として関わっています。ですが、どんなに知識や経験があっても、家族になるとできないことがあります。家族だからこそできないことを受け入れる覚悟、そして助けてもらう勇気が必要だといつも感じています。

 認知症の人と家族の会秋田県支部世話人・猪股祥子

2022年4月