家族の会だより

99歳と0歳の意思決定支援

田部井康夫・認知症の人と家族の会副代表理事(群馬県支部代表)

 私の家族を例に、認知症の人の意思決定支援について考えてみました。

 妻の母は99歳、100歳を目前に特別養護老人ホームに入所しました。初期の認知症に加え、体の動きが不自由になり、夜間の移動の際の安全を確保することが困難になったことが理由でした。同居の弟夫婦も夜間の見守りは無理、私の妻も、転んで痛い思いをさせるのは忍びないというもっともな理由でした。

 娘婿の立場の私も、夜間の見守りを保障する手立てはあっても経済的な負担を考えると、もう少し在宅で頑張ってみては? と口にすることはできませんでした。この際、妻の母自身の意思が直接確認されることはありませんでした。

 もし、チームにより妻の母の意思決定支援が実施されていたら、結論はどうなっていたでしょうか? 入所した妻の母から、家に帰りたいとの不満の声が出ているわけではありません。しかし、もし問われれば、やはり「帰りたいよ」と答えると思います。その時、チームはどんな結論を出すでしょうか?

 転じて、今、私の家に生後1カ月余りの乳児がいます。彼も意思はあってもそれをはっきりと伝える手立てを持たない存在です。願いや不満があれば、泣き叫ぶしか手段がありません。

 母親(私の娘)や私たち夫婦は、その乳児の泣き声から、「一体この子は今何を訴えているのか」と懸命に探ります。「おなかがすいた」「おむつが汚れてる」「抱いてくれ」「暑い、寒い」。あれこれ推測し、24時間、昼夜を問わず、誰かがその欲すところに応えようと準備しています。その準備の体制があるので乳児は生きてゆくことができます。そのように乳児の意思決定は尊重されています。

 一方、妻の母の意思は、聞かなくても明らかなのにそれを保障する体制が準備できないために望みを叶(かな)えてやることができません。

 つまり、意思決定支援は意思を実現する体制が保障されてはじめて完結することになります。高齢者に乳児と同じ体制を保障するのは無理と思いつつ、ふと考え込んでしまいました。今、わが家族の願いは、この99歳と0歳の安全な面会の実現なのですが……。

2023年2月