家族の会だより

ケア提供者から利用者へ

柳 竜一・認知症の人と家族の会理事

 私と「認知症の人と家族の会」の関わりはかなり古く、1983年4月に特別養護老人ホーム(特養)で働き始めたのを機に84年頃から家族の会福岡県支部の会員となり現在に至っています。当時は認知症ケアに関する情報がまったくない状態でした。①会報②つどい③電話相談−−という家族の会の活動を通じてたくさんの介護方法を学んだ事は今では財産になっています。

 「お父さんは物忘れがひどくなってきているよ、どうしたらいいの」。そんな母からの相談を受け、仕事として認知症ケアを提供する側だけでなく介護家族の立場にもなりました。現在90歳で要介護4の父が80歳の時でした。

 父は82歳の時に温泉の風呂場で倒れ、救急搬送されました。診断の結果は「多発性脳梗塞(こうそく)」で、父の認知機能低下は脳血管性認知症によるものと分かりました。その後3年間に3回入院しました。体力の低下に伴って温泉に行く回数を減らし、「運転するのが怖くなった」と言うので、車を売ることを勧めました。ディーラーの見積額に納得して車を手放すことができ、運転免許も返納しました。高齢者に免許返納を受け入れてもらえず悩む家族は少なくありませんが、本人の思いを尊重しながら支える意思決定支援に取り組むことができた事例でした。

 その後も父の症状は進み、一昨年、87歳で5度目の入院となり、初めて要介護認定(要介護1)を受けました。退院後、母は自宅介護の難しさに混乱するようになり、感情も不安定になってきました。

 その後、父はデイサービスに通い始めました。しかし排泄(はいせつ)をコントロールできず、また体が不自由になったことでつらい思いをするようになっていました。父の介護に心身とも疲労困憊(こんぱい)した母は極限状態に陥り、夏のある大雨の朝、電話で「私はもうこんな生活は無理。死にたい。助けて」と私に伝えてきました。

 実家に急行し、父を病院に連れて行くと医師からは「認知症が進んでいます。在宅介護は無理なようですね」と告げられました。短期の入院を経て老人保健施設に入りました。

 まだ父が要介護1だった頃、将来特養に入所したいかと聞いたことがあります。父は「入らないよ。職員に気を遣わせるから」と答えていました。そして今年7月、本人が希望していたグループホームでの生活を始めました。叔母たちもしょっちゅう面会に訪れ、父も母も今は穏やかに楽しい日々を過ごしています。

2025年12月