バイオマーカーを用いたアルツハイマー病診断の進歩について

予後診断への応用、治療薬開発に期待

 アルツハイマー病の診断というと問診というイメージですが、これからは、より客観的な手法が導入されると予想されます。バイオマーカー(身体の状態を測定、評価するための指標)による定量です。最近大きな動きがありましたので、紹介します。

 アルツハイマー病は、前世紀までは死後脳を解剖して老人斑と神経原線維変化を認めるまで確定診断をすることが出来ませんでした。しかし、技術革新の結果、今はアミロイドPETやタウPETで画像診断が出来るようになりました。被験者が生きている状態で脳の中を観察することが出来るようになったことは画期的です。もちろん、MRIによって示される脳の萎縮も重要な指標です(今のところPETは保険適用外です)。

 この技術は、日々進歩しています。日本では、千葉県にある放射線医学総合研究所が世界をリードしています。ただし、特殊な装置を用い、時間と費用を要するので、健康診断のようなルーチンに使うことができるメソッドではありません。

 そこで、体液バイオマーカーの検索が随分となされました。その結果、米国を中心とする研究によって、髄液中のアミロイド(Aβ42)とタウタンパク質を定量することによって、かなりの確率で診断できるようになりました。タウタンパク質(とくにリン酸化タウタンパク質)研究では東北大学の荒井啓行教授が大きな貢献を果たしました。問題は髄液採取の侵襲性です。背骨の隙間から髄腔内に注射針を入れるわけです(英語でlumber punctureと言います)から、腕の悪い医師には任せたくないですね。実際、針が髄腔を突き抜けてしまうケースがまれにあるようです。

 そのような状況の中、つい最近になって、侵襲性の低い血液バイオマーカーが報告されるようになりました。これまで利用されてきたELISA(Enzyme-Linked Immunosorbent Assay)という免疫化学的方法の約一千倍の感度があるSIMOAという装置が開発されたことが大きいと思われます。比較的再現性と感度がよいマーカーは、NF−L(ニューロフィラメントL)で、発症の10年以上前から上昇するらしいのですが、陰性の場合に正しく陰性と判定する疾患特異性が低い点が欠点です。アルツハイマー病だけでなく、ALS(筋萎縮性側索硬化症)でも変化すると報告されています。

 一方、国立長寿医療研究センターの柳澤勝彦研究所長と島津製作所の田中耕一研究所長が報告したAβ42(の逆数)がアミロイド蓄積と相関することもSIMOAで再現されたという報告があります。また、京都府立医科大学の徳田隆彦教授はSIMOAを使って、タウタンパク質の変化を明らかにしました。血液Aβ42とタウタンパク質は、アルツハイマー病に対して特異的であるとの報告があります。これらの結果は追試される必要がある一方で、技術革新が科学研究や医学研究を大きく進歩させることを示しています。

 ちなみに、SIMOAはまだ万能ではありません。値段が4000万円ほどと高価ですし、必要とするサンプル容積はELISAの百倍以上です。また、サンプルを処理するための時間も決して短くはありません。これから改善されるのでしょう。

 大雑把には日本に約3000万人のアルツハイマー病予備群がいると推測されます。世界はその10倍以上です。これらの人々をまとめて検査測定することが出来るバイオマーカーは今のところ存在しません。また、これらのバイオマーカーが本当に生物学的・医学的妥当性があるのかについても、更なる検討が必要です。私たち自身も独自の方法でバイオマーカーの探索を行っています。まさに「戦国時代」言えるでしょう。

 適切なバイオマーカーが確定すると、発症前診断(pre-symptomatic diagnosis)だけではなく、予後診断(prognosis)に応用できる可能性が期待されます。これは、予防薬と治療薬の開発を劇的に加速するでしょう。症状の変化を指標する方法に比較して、はるかに客観的であり(偽薬でも症状が改善する「プラセボ効果」などがないか少ないなどの理由で)、かつ、感度や特異性が高いので医薬品の効果を確実に評価できるからです。バイオマーカー同定がアルツハイマー病の研究開発において非常に期待される所以です。

2019年5月