新たな主役:中枢神経免疫系

善玉と悪玉 ミクログリアは双葉の剣

 最近、アルツハイマー病研究で「神経免疫」が注目されています。まず、「免疫系」について簡単に解説します。免疫系は、大きく「自然免疫」と「獲得免疫」に分けることができます。自然免疫は、体内に侵入した細菌やゴミを片付ける仕組みで、末梢(中枢神経系以外の組織)ではミクログリアや好中球といった細胞が細菌やゴミを貪食(細胞内に飲み込んで分解)することで排除します。基本的に対象に対する特異性はあまりありません。

 獲得免疫は、抗原に対して特異的な抗体が産生され、抗体が抗原を攻撃して排除します。自然免疫が破られたあとに登場する場合があります。たとえばインフルエンザワクチンは、抗原のインフルエンザウィルスに対する抗体が感染時にウィルスを認識して攻撃し、発症を予防します。ただし、最近のインフルエンザウィルスは遺伝子変異の頻度が高いため、抗原性が変化し、ワクチンが効かない場合があります。

 脳(中枢神経系)の免疫系は末梢とは随分異なります。脳には基本的に獲得免疫がありません。そのため、脳血管関門がウィルス等の侵入を防ぐ役割を担っています。従って、何らかの理由で脳血管関門が破られて病原性のウィルスが侵入すると、重篤な脳炎が発症し、激しい後遺症あるいは死亡に至ることがあります。逆に言えば、脳の主要な免疫系は自然免疫です。その主役は、「ミクログリア」と呼ばれる貪食系の細胞です。末梢のマクロファージに似た性質があります。また、末梢の単核球が脳血管関門をすり抜けて脳内に移行し、自然免疫の役割を担うこともあります。

 ミクログリアが注目されてきた理由は二つあります。脳内にアミロイド等の「ゴミ」が蓄積すると、ミクログリアの数が増え、活性化します。おそらくアミロイドを排除しようと動きだすのでしょう。もう一つは、人類遺伝学的研究によって、アルツハイマー病の発症と関わる遺伝子の多くがミクログリアの機能と関係があることが分かってきたからです。孤発性アルツハイマー病の最大のリスク因子であるアポリポたんぱく質遺伝子ε4もミクログリアの活性を低下させることが、最近報告されました。また、「腸内環境」がアルツハイマー病の発症に影響を与えることが近年分かってきましたが、その作用もミクログリアを介しているという論文が多数発表されています。

 実際に、アルツハイマー病モデル動物にミクログリアの数を低下させる薬剤を投与すると、アミロイド蓄積が増加しますから、ミクログリアがアミロイド排除に貢献していることは間違いないと思われます。

 一方で、ミクログリアは神経の伝達機構に重要な役割を果たすシナプス装置(スパイン)を刈り取ってしまい、機能低下を引き起こす可能性が指摘されています。また、酸化ストレスによって神経細胞等を傷害するという「悪玉」の側面もあります。つまり、ミクログリアは、脳内のゴミを掃除するという善玉であると同時に細胞障害性のある悪玉でもあり得るという意味で、諸刃の剣であると言えます。今後の医学的応用のためには、善玉の性質を増強し、悪玉の性質を抑制するという研究の方向性が考えられます。

 現在、アルツハイマー病研究者が苦労している点は、「ミクログリアにはいくつかの種類があるはずだと考えられるが、それを明確に区別する方法がないこと」だと思います。今の方法では、脳からミクログリアを一つずつ単離し、そのメッセンジャーRNAの配列を決定するという大変な実験が必要です。この方法にしても、脳組織からミクログリアを単離する過程でミクログリアの性質が変化する可能性がありますから、絶対に確実ではありません。

 異なる種類のミクログリアを識別する抗体があれば、この問題はかなり解決しますから、その努力はなされているはずですが、まだ成功していないようです。末梢の免疫系に対する研究が大いに進んだのは、100種類以上ある細胞表面抗原が同定され、特異的抗体が作製されてきたことによる部分が大きいと思います。神経免疫研究においてもこのような進歩が期待されます。

2020年1月