アルツハイマー病の動物モデル マウスから非ヒト霊長類へ

 疾患研究において動物モデルは重要な役割を果たしてきました。アルツハイマー病研究においては、基本病理がアミロイドβ蓄積よりなる老人斑です。ヒトの場合、アミロイドβ蓄積は50歳頃から始まりますから、実験医学的研究では50年も待てません。そうすると、遺伝子改変技術を応用できるマウス(約30グラム程度のネズミ)を利用しようという発想に至ります。(ちなみに、マウスよりはるかに大きなネズミであるラット(約300グラム)も遺伝子改変技術を使うことができるのですが、飼育コストがマウスの約10倍要するために、使用頻度は少ないようです。

 「アルツハイマー病の基本病理を如何にしてマウスで再現するか?」という問いは、老人斑の構成成分が同定されてから、大きな課題となりました。アミロイドβペプチドは、40〜42個のアミノ酸からなりますが、その起源であるアミロイド前駆体タンパク質は695〜770個のアミノ酸からなります。したがって、アミロイド前駆体タンパク質を過剰に発現させれば、老人斑が再現されるはずです。その結果、PD-APPやTg2576といったマウスのラインが作製されました。これらは、老人斑の周りに変成突起(軸索の先端部が変成したもの)が生じ、神経炎症を伴いましたので、少なくとも部分的にはアルツハイマー病理を再現しました。

 一方で、タウタンパク質が蓄積したタウ病理や神経細胞死を示す神経変性はこれらのモデルでは再現されませんでした。ヒトの場合、アミロイド病理が生じてタウ病理が生じるまで10〜20年を要するのに対して、マウスの寿命は長くても3年弱ですから「時間の問題」であると考えられます。また、タウタンパク質に関しては、遺伝子の変異によって「前頭側頭葉認知症」という認知症が生じることが発見されましたので、この遺伝子変異を有するタウタンパク質遺伝子を過剰発現することによって、タウ病理を再現することが可能になりました。

 また、変異型アミロイド前駆体タンパク質を過剰発現するマウスを変異型タウタンパク質を過剰発現するマウスと交配することによって、アミロイド病理がタウ病理を促進することが示されました。アミロイド病理→タウ病理というベクトルが存在することが実験科学的に示されたわけです。

 ここまでは動物モデルの研究は順調に進んできたように思われましたが、最近になって大きな問題が明らかになってきました。遺伝子改変動物は、一般にトランスジーンという人工遺伝子を対象の動物に無理矢理過剰発現します。このことによって、動物の複数の遺伝子が破壊され、病理とは関係のない行動異常が生じることが分かってきました。また、突然死が生じることも問題でした。仮に、このような問題のある動物に対して効果のある医薬品が得られても実際の患者には有効ではない危険性があります。

 このような問題点を踏まえて、我々は「相同的組換」や「ゲノム編集」という方法を使って新しいモデルを作製しました。過剰発現に依存せず、アルツハイマー病病理を再現するモデルで、明確な行動異常も見られます。最初に発表したのが2014年で、今では世界中で400以上の研究グループによって使用されています。この新しいモデルによって、これまでの研究における間違いが正されつつあります。これからも「標準モデル」としてアルツハイマー病の実験医学研究に貢献して行くと思います。

 さらに、国家的プロジェクトとして、公益財団法人「実験動物中央研究所」と広島大学との共同研究で未知の領域に入ろうとしています。それは、「非ヒト霊長類モデルの作製」です。マウスと違って、非ヒト霊長類の脳は人間に近く、将来、準臨床試験を大いに加速すると期待されます。今のところ、日本が世界の先端を走っています。

 ただし、マウスにしても非ヒト霊長類にしても、研究対象とするには、動物倫理の問題がつきまといます。出来るだけ苦痛を与えることなく研究を行うことは、常に心がけています。

2020年4月