髄液の流出に異常が生じる「正常圧水頭症」

数少ない 手術で治療できる認知症

 アルツハイマー病、レビー小体型認知症、前頭側頭葉認知症などの不可逆的神経変性(神経細胞死)によって引き起こされる認知症は、治療が困難です。神経変性が進行する前に原因を突き止め、取り除くことが必要です。これは、世界中の研究者が必死に取り組んでいます。

 一方、患者数は多くはありませんが、比較的簡単な手術で治療することができる認知症があります。その一つは「正常圧水頭症」と言われる髄液のあり方に関する疾患です。髄液は脳全体に循環する体液で、一定の割合で流入し、一定の割合で流出します。脳を豆腐にたとえると、豆腐を浮かせている水のようなものです。通常は、流入と流出のバランスが安定していて脳内の定常量が均一に保たれます。

 正常圧水頭症の場合は、髄液の流出に異常が生じ、脳内の髄液量が増加して、脳実質を圧迫し神経機能の異常をきたします。たとえばMRIを撮像すると、脳室(脳内の空隙)が特徴的に拡大していることが分かります。正常圧水頭症の特徴的症状は、歩くときに脚を引きずってしまい、ひどいときは転倒してしまうという、歩行障害を伴うことです。そのため、パーキンソン病等の運動失調との鑑別診断が必要です。逆に言えば、歩行障害を伴う認知障害は、正常圧水頭症である可能性があります。また、尿意に関する感覚が鈍くなるため、尿失禁の原因となる場合があります。発声が悪くなる人もいるようです。

 正常圧水頭症における髄液排出異常の原因はよく分かっていません。頭部外傷やくも膜下出血などが原因であるケースはありますが、突発性正常圧水頭症といって、とくに障害歴がない場合もあります。加齢は関係があるようです。

 正常圧水頭症を確定診断する方法としては、「タップテスト」があります。1週間ほどの検査入院が必要になりますが、腰椎から一定量の髄液を採取し、その前後で運動能力や認知能力の変化を観測します。タップテストの効果は場合によってすぐに現れることもありますが、数日を要する場合もあります。MRIの結果とあわせて診断が確定したら、髄腔から髄液を逃がすためのシャント手術を受けることになります。

 シャント手術は基本的に2種類があり、一つは脳室からチューブを通して髄液を腹腔に逃がす方法で、もう一つは腰椎から逃がす方法です。いずれも、安全な脳外科手術として確立されています。つまり、「手術によって治療することが可能な」数少ない認知症であると言えます。

 余計な髄液を除くうえで、医学的には排出量の調節が重要になります。最近は技術が進んで、いったん体内に埋め込んだチューブの流量を体外から磁石を使ってコントロールすることが可能になりました。ある程度髄液の排出量が安定したら、定期的に調整すればよいことになります。ただし、全くリスクがないわけではなく、まれに感染症を伴う場合があります。また、高齢者の場合は、腰椎が変形・硬化している場合があるため、脳室からシャントを通す必要があります。

 正常圧水頭症に関して残念なことは、手術すれば治癒できるのに、一般の臨床医や患者家族における認知度が高くないことです。約8割のケースで見過ごされて放置されており、アルツハイマー病やレビー小体型認知症等の他の認知症と誤診されています。手術で治療することができる認知症ですから、もったいないことです。もし、歩行障害を伴う認知障害のある患者さんを見かけたら、正常圧水頭症の可能性を疑ってみる必要があると思います。

2020年7月