世界最大の情報交換サイト:アルツフォーラム

漢字画像と英単語音を組み合わせた認知能力テスト

 アルツハイマー病に関する世界最大の情報交換サイトに「アルツフォーラム」があります。インターネットでAlzforumと検索すれば簡単に見つかります。拠点が米国のボストンにあるので、英語表記のみです。これが日本語訳されれば、広く日本の方々に情報が伝わると思います。例えば日本のメディアがホームページを開設し、日本語訳を掲載して多くの日本人に情報を共有していただくアイデアはどうでしょうか。

 アルツフォーラムは毎週更新され、最新の研究情報が紹介されます。基礎研究の成果だけでなく、臨床試験の結果も紹介されます。カバーされるのは、論文発表・学会発表・プレスリリースなどです。私たちの研究成果も何度か紹介されました。Webinarという生のインターネット討論会を行い、その記録はいつでも見ることができます。私がWebinarで発表したのは2014年でしたから、コロナ禍の2020年から考えると、随分先進的だったと思います。データベースも充実していて、家族性アルツハイマー病の原因遺伝子変異の全リストを見ることができます。関係研究者のメールアドレスを検索することも可能です。

 アルツフォーラムでは、アルツハイマー病だけではなく、パーキンソン病やALS(筋萎縮性側索硬化症)など他の神経変性疾患についても情報を見ることができます。個々のトピックに対しては、単なる解説だけではなく、専門家のコメントや批判も見ることができます。私自身も随分コメントをしてきました。

 今回は最近コメントを求められた、臨床症状がない段階の「前臨床性アルツハイマー病」に関する論文を紹介します。Limらがオーストラリアで行った研究で、”Neurology”(神経内科)というジャーナルに掲載されました。被験者は約80名で、アミロイドPETによってアミロイド蓄積陰性と陽性の2群に分けられました。通常の認知テスト(MMSE: mini-mental state examination)の結果は差がありませんでしたから、後者が前臨床性アルツハイマー病群ということになります。

 被験者の学習能力と記憶力を測定するにあたり、興味深い方法が用いられました。テストは全てインターネットを介し、「文字としての漢字」と「音としての英単語」からなる複数の組み合わせを学習するものです。正しい組み合わせを学習し、記憶するというパラダイム(テスト様式)です。それぞれ毎日約30分、6日間にわたってテストを受けます。

 その結果、前臨床性アルツハイマー病群では、健常人と比較して、学習能力(学習曲線)が顕著に低下していたのに対して、記憶力の低下は比較的軽度であったとのことです。従って、前臨床性アルツハイマー病においては、記憶力(記憶の貯蔵や引き出し)よりも、短期的学習能力が低下していると、著者らは結論づけています。

 論文によると、被験者は認知能力は正常で、中国語(漢字)教育を受けたことのない方々ということになっています(人種、民族は未記載)が、我々日本人から見ると幾つかの疑問点が生じます。そもそも、漢字には大きく3種類があります。台湾や香港で使用されている旧字体、日本で主に使われている普通字体、中国本土で使われている簡易字体です。論文ではどの字体が使用されているか明記されていません。字体や文字によって記憶しやすさが異なるのではないでしょうか。

 さらに、日本では新聞を読むのに約1800種類の漢字を知る必要があると言われています。従って、我々は初等教育から中等教育の間に長時間をかけて漢字を学びます。これは、本論文における検査の対象となる「短期記憶」ではなく、明確な「長期記憶」です。よって、我々(日本人だけでなく中国人も)が通常漢字を学ぶ過程とは大きく異なります。また、「中国語(漢字)教育を受けたことのない方々」といっても、何らかの形で漢字を学んだことがある人が含まれていた場合は、結果に影響があるように思われます。

 もう一つ気になる点は、学習能力の低下は海馬の萎縮と相関したという趣旨の記述があったことです。海馬の萎縮は神経変性の指標でもありますから、本研究の対象となった「前臨床性アルツハイマー病群」は、病理学的には「軽度認知障害」に進行している可能性があります。つまり、アミロイド蓄積だけでなくタウ沈着や神経変性が生じているかもしれません。原因物質のタウの蓄積をタウPETで検証するべきでしょう。

 海馬は短期記憶をつかさどります。短期記憶の繰り返しによって学習が形成されると推測されますから、本研究の結果は広義の「学習」というよりは「海馬依存的短期記憶の欠落」である可能性があります。人を対象とした認知テストはメカニズムを解明することが難しく、解釈に幅が生じる点に困難さがあります。

2020年10月