認知症の人の声を聴いていますか

家族の葛藤 整理できぬ想いに寄り添い

東京慈恵会医科大学精神医学講座 教授 繁田雅弘

 認知症の男性の苦悩を描いた「ファーザー」という映画が日本で公開された。アカデミー主演男優賞(アンソニー・ホプキンス)と脚色賞を受賞したとのことであった。惜しくも逃したが作品賞にもノミネートされたとのことであった。すでに今までに国内外で認知症をテーマにした映画が数多く撮られている。そして感動を誘う作品も数多くある。

 私が今までに観た認知症の映画の中で専門職の立場として気に入っているのが2018年に公開された「コーヒーが冷めないうちに」という邦画である。同名小説の映画化だった。喫茶店が舞台で常連客の1人が薬師丸ひろ子さん演じる女性だった。彼女は認知症を患っており一度した注文を忘れたり夫のことを単なる知人と間違えたりした。彼女の夫は松重豊さん演じる看護師で彼女をとても上手に介護していた。

 一方、彼女は自分が認知症であることを知ったがまだ夫に打ち明けていないときに夫に宛てて手紙を書いていた。それを認知症が発症してしばらくしてから夫が知り、読むことになった。その手紙には次のことが書かれていた。自分の病気がこれから進んでもあなたは看護師として上手く付き合ってくれるに違いないけれど、自分の前では看護師でいる必要はないこと、そして自分はあなたの前で患者でいたくないと書かれていた。

 多くの人は家族が認知症になると自分たちが適切な介護ができているか不安になる。私もそうであった。そして認知症に関する医学的な知識や認知症ケアの理論を求める。本を読んだり雑誌の記事を探したり医療スタッフやケア関係者に質問したりする。それは有用であるが、そちらにばかり意識が向いてしまうと、認知症の本人の気持ちが置き去りにされてしまう。

 評価の高い医療機関では時間をかけてていねいに検査結果や治療薬、その副作用の説明がなされている。介護保険サービスの勧めもなされるかもしれない。またケアマネジャーやヘルパー、デイケアスタッフなどから利用する介護保険のプログラムや生活上の注意を教えてもらうこともできる。しかし多職種がこれだけ的確に医療やケアについての情報を提供したにもかかわらず、この時に認知症の本人が経験する想いは孤立であり孤独なのである。なぜなら誰一人認知症の人の情けなさや悲しさ、寂しさ、惨めさといった本人の想いに共感していないからである。

 認知症の人が精神的に不安定になったときに医療・福祉専門職や家族ができることがあるとすれば、まず認知症になった本人の悔しさ、忘れたり失敗したりした時の惨めさ、誰にも相談できない寂しさや人の役に立てなくなった情けなさに共感することではないであろうか。上手に介護することより本人の想いを聴いて精神的孤立や孤独を解消し本人との好ましい情緒的関係や信頼関係を取り戻すことではないだろうか。そしてわずかでも本人との好ましい情緒的関係や信頼関係が得られれば精神症状は少なくとも部分的に軽減するに違いない。

 神奈川県平塚市にある私の実家で行っているSHIGETAハウスの認知症カフェではスタッフが認知症の人の介護について助言をすることはまずない。もちろん医療や福祉資源を紹介したり、他の家族ではこんなことがあったと、控えめに言ったりすることはあるかもしれないが、認知症の家族と暮らすということはまさに人と人との暮らしの問題なのである。

 お互いの性格も人生観も価値観もそれまでの人生の悲喜も知らずに認知症の人との暮らしに助言などすることはおこがましいことだと思う。介護についての助言をすることは家族に認知症の人が家族であることを見失わせ、家族として接することを忘れさせる恐れがある。できることは家族の心に生じるさまざまの葛藤や整理できない想いに寄り添うことだけである。そして家族が本人の想いに心を寄せるだけの余裕を、少しでも持ってもらうことではないだろうか。

2021年6月