認知症の人の声を聴いていますか

スピリチュアルな苦痛

東京慈恵会医科大学精神医学講座 教授 繁田雅弘

 終末期の認知症高齢者を対象に行われた、精神的な苦痛に関する調査 (Hirakawa 2014)がある。看護師と介護福祉士によって観察された精神的・心理的な苦痛を分析した研究である。分析の結果、「自分がどこにいるか、誰なのか分からない」といった自己の見当識障害に関わる苦痛や「自分の脳機能が低下したことに神経質になっている」といった症状に対する恐れを共通して認めたが、さらにスピリチュアル(精神的・霊的)な苦痛についても広く見いだされた。

 心身の病気に伴う様々の苦痛は、身体的苦痛、社会的苦痛、心理的苦痛、スピリチュアルな苦痛という、4つの観点から理解することができる。スピリチュアルというと宗教や神秘体験を連想するかもしれない。しかしスピリチュアルな苦痛とは、従来ホリスティック医療(※)やがんの緩和医療(ターミナルケア)の現場で検討されてきたもので、「自己の存在や自己の意味の消滅によって引き起こされる痛み」(Murata 2003)などと定義されている。そのがん患者のスピリチュアルな苦痛に関する分析結果(Murata 2011)をみると、認知症の人にみられる苦痛と共通するところが多い。

 がん患者に観察された「私の人生は何だったのか」「もう何の意味もない」といった訴えは“将来の喪失”に伴う苦痛と理解することができる。「誰もわかってくれない」「孤独だ、自分ひとり取り残された感じだ」といった訴えは“他者の喪失”に伴う苦痛と理解することができる。「人の世話になって迷惑かけて生きていても何の値打ちもない」「自分で自分のことができないのはもう人間じゃない」といった訴えは“自律性の喪失”に伴う苦痛と理解することができる。これらのスピリチュアルな苦痛は多くの認知症の人においても共通して観察される。

 認知症の人の孤独感には「周りの人は訳もなく私を見下しています」「気持ちがうまく伝わりません」といった苦痛——これは他者の喪失に伴う苦痛——も認められた。さらに「自分の意思に反して治療を受けています」という訴えも認められた。

 認知症医療では治療に関する意思決定が本人不在のまま行われたり、本人の意思確認が行われないまま治療が実施されたりすることがあり、そうした場合は生じて当然の苦痛と考えられる。また「やりたいことをさせてくれません」という苦痛も認めた。家族がクレジットカードや財布を取り上げるようなことがあれば、これも生じて当然の苦痛であろう。

 こうしたことが関係してストレスが増し精神的な不安定を生じる可能性があるが、従来、認知症の人の心理的・精神的な課題は、認知症の行動心理症状(BPSD)と呼ばれて検討されてきた。

 ちなみにBPSDには感情面や行動面の変化、幻覚や妄想、意欲低下、衝動制御の困難、昼間の傾眠・夜間の不眠など、認知機能低下以外の多種多様な症状が含まれ、特に感情面や行動面のBPSDは背景にスピリチュアルな苦痛が関係していると考えられる。スピリチュアルな苦痛が存在することでBPSDが起こりやすくなっていると理解することができる。

 たしかにBPSDの出現には家族の対応が影響することが多い。家族が適切な介護をできず症状の引き金を引くことも少なくない。しかしスピリチュアルな苦痛を低く抑えることができれば、本人に精神的な余裕が出て、家族の対応が適切なものでなくても症状の出現に至らない可能性もあるのではないだろうか。そもそもBPSDの出現などとは別に、認知症の人が未来に絶望し、理解者を失い、自分に価値を感じられないというスピリチュアルな苦痛をもつことは避けなければならないことだと思う。その結果としてBPSDの防止につながるのであればなお望ましいであろう。

※心の問題も含めた全人的な医療で、一般的な西洋医学にとどまらず、オプションとして東洋医学を用いることもある。

2022年2月