認知症の人の声を聴いていますか

専門医の一番の腕の振るい時

東京慈恵会医科大学精神医学講座 教授 繁田雅弘

 大学で同級だった外科医から「オレは世間話が得意じゃないから精神科には向かないな」と言われたことがある。外来を受診した患者から「話をゆっくり聞いてくれる先生がいると聞いて来ました」と言われたこともある。しかし患者が聞いてほしいと言うから聞いているわけではない。ましてや世間話をしているつもりもない。治療上、話を聞く必要があると考えているから聞くのである。

 例えば、療養の指導をするには、まず患者の病気の理解や心構えを理解しておかなくてはならない。理解した上で情報提供すべき点はどこにあるか、修正したほうがよい誤解がないか、などを判断するわけである。聞く必要がないと判断すれば聞かない。「やさしい」医師は治療的でなくても聞くかもしれないが、私は治療的と思わなければ聞かない。また話を聞き始めてからも、話が深まったり広がったりする兆しがなければ聞くのをやめている。

 ある認知症の患者がもの忘れを訴えて来院した。大学病院と研究所病院の2か所をすでに受診していた。認知機能検査に加えて、各種の検査を行い、認知症ではないと診断されていた。「認知症だと思うのですか」と尋ねると「いや、二つの大きな病院で違うと言われたから認知症ではないと思う」と言う。「では、なぜこちらに来たのですか」と聞くと、「いい先生がいると聞いて来ました」と言う。「もう一度検査をしてほしいということではありませんね」「はい、そうではありません」「あなたの言う、いい先生とはどんな先生でしょうか?」「話を聞いてくれる先生です」「どのような話を聞いてほしいのですか」「認知症の心配があるので、心配な気持ちを聞いてほしい」とのことであった。

 その後、患者はもの忘れに伴うさまざまな場面の失敗のエピソードを語り、もの忘れを心配する自分を理解してくれない夫への不満を語った。話はそれ以上でもそれ以下でもなかった。その日は外来患者が少なく、待っている次の患者もいなかったが「私はあなたの力になれない」と告げ、こちらに通っても治療的な意味はないだろうと話した。再診の予約もしなかった。その患者は病院を出ていくとき、受付に「あの医者は評判とまるっきり違う。来なきゃよかった」と捨て台詞を言って帰っていった。

 話しているうちに、自分のもの忘れに関して客観的に見ることができたり、夫の気持ちに関して気づきを得たりできる可能性が感じられたら聞き続けたかもしれない。しかし話が深まる兆しもなく、展開する気配も感じられず、ただ患者の訴えを聞くだけで治療的意味を見出せなかったので、この人に対して私は役目がないと判断した。精神科医が話を聞くのは、患者が話をすることで自分自身や病気に対する理解を深めたり、療養生活の心構えを獲得したりするからである。

 こうした行き違いが生じないように、最近は、とくに患者に病院や私に何を期待しているか丁寧に具体的に聞くようになった。そこに当事者のニーズがあれば、そのニーズに対して私は何ができるか判断し、できることを患者や家族に説明し、話を聞くか否かを判断している。契約書を交わすわけではないが一つの治療契約と言える。私が治療としての意義を感じられないときは、その旨を丁寧に説明し、診断をし、認知症の治療薬を処方し、介護サービスの利用を勧めて診察を終わりにしている。

 一方で、「病気をどのように受け止めたらいいか迷っている」、「失敗続きの日々の生活をどのような心構えで送ったらよいのか悩んでいる」などと言われれば、精神科医の一番の腕の振るい時である。私が認知症診療の中でもっともやりがいを感じるときである。

2022年8月