認知症の人の声を聴いていますか

自信を取り戻せる初期対応を

東京慈恵会医科大学精神医学講座 教授 繁田雅弘

 5年ほど前にもの忘れを訴えて家族と来院した70歳代前半の男性を思い出した。会社を退職して10年近くになるが、町内会の幹事などを元気に務め、最近まで近所の碁会所にも通っていた。しかし最近は出かけることがめっきり減ったと妻は言う。もともと会社でテキパキ仕事をこなせるしっかりしたタイプだったので、印象が随分違ってしまったという。本人も自分の変化を心配していた。

 認知機能検査を行ったところ結果は一応正常範囲だったが、成績は下限に近い値で、高い学歴や職歴から考えると、初期のアルツハイマー病の可能性も否定できなかった。しかし、診断は現時点では軽度認知障害と考えていると本人と家族に説明した。そして、「軽度認知障害とは半分認知症になった状態という人もいるが、それは誤り。あくまで認知症の疑いが生じた状態、あるいはリスクが高まった状態」と説明した。しかし本人と妻は「アルツハイマー病の可能性が否定できないなら服薬を開始したい」とコリンエステラーゼ阻害薬(脳内の神経伝達物質を増やす薬)の服用を希望し、結果として処方が始まった。

 続いて私は「認知機能検査で成績が振るわなかっただけで軽度認知障害と言われることもある。服薬するかしないかは別にして、認知症の心配がないとは言えないくらいの状態と考えてはどうか」と提案した。また「軽度認知障害と判断された人の中には元に戻る人もいる。体調の変化で検査の成績が低下する場合もある。その一方で、認知症であったとしても進行が緩やかな認知症もある(具体的には嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症や神経原繊維変化型認知症など)。それらの認知症なら今後とも長期間にわたって身の回りのことはできると説明した。心配な気持ちは理解できるが、まずは心身の健康に注意を払いながら経過をみることが大切と説明した。

 さらに次の説明を付け加えた。「自信をなくしているところはないか。自信をなくすと、日課にしろ家事にしろ、自分のしていることが何もかもうまくできないように感じられる。当然のことながら、自信をなくせば日課や家事に集中できず、さらに失敗が増える。その結果、さらに自信をなくすという悪循環に陥る。しかし、少しでも自信を取り戻すことができれば見違えるほどいろいろなことができるようになる。すると自信が戻ってさらに他のこともできるようになり、今度は良い方の循環に入る」といった説明であった。

 2カ月ほどすると、明るさも増し机の上が前より片付いていると本人が報告してくれた。4カ月ほどしたところで再び外出するようになった。もの忘れは依然としてあるものの、生活の内容がほとんど以前のものに戻ったという。

 もちろん薬の効果もある。しかし服薬をしない人でも初期治療の数カ月の間に生活が元に戻る人がいる。この人は1年後の検査結果は初診の時よりわずかに点数が上がっていた。その時は、進行していないのなら認知症は否定的だとさえ考えたのである。

 しかし2年後には明らかな悪化がみられ、3年後には認知症は進行し、5年後にはほとんど言葉を失い、着替えや入浴など全面的な介助が必要になった。

 ここで私が言いたいのは、認知症の疑いが生じたとき、大いに自信をなくすことが生活動作の能力を著しく低くすること、しかし、自信を取り戻すことで生活動作は大幅に改善すること、そしてアルツハイマー病のような進行性の認知症でもそうした改善をもたらすことができることである。進行性の認知症でも不安が軽減し、一時的にではあるが、生活動作は大きく改善するのである。そうした改善が得られた人は、その後も精神的に安定した経過をたどるのである。認知症であっても初期の改善を目指して初期対応を行っている。

2023年4月