認知症の人の声を聴いていますか

発症前に心の準備、強い覚悟を

東京慈恵会医科大学精神医学講座 教授 繁田雅弘

 自分が認知症になった時に自分のことが情けなく惨めに感じられるなら、それは自分の認知症に関する偏見(先入観)のためかもしれない。誰でも認知症に関する先入観がある。今自分が認知症に抱いている思いが、今度はそのまま自分にのしかかってくるわけである。従って自分がどのような先入観を持っているのかについて意識しておくことは、認知症と暮らしていくにあたって重要である。

 認知症の人たちは認知症と診断されたばかりの頃に認知症の本を手当たり次第に読んだが、希望のあることは一つも書いてなかったと振り返る。認知症になれば記憶障害や遂行機能障害(家事や仕事の手順を間違え手際が悪くなる)が徐々に進行していくことは避けられない(進行の速度に個人差はあるが)。しかし何もできなくなるわけではなく、何も分からなくなるわけではない。本人にとっては、その「できない」ことと「苦労が増える」、あるいは「失敗が多くなる」ことの違いは極めて大きいのではないであろうか。このことを自分が認知症になる前にまずはよく理解しておきたい。

 最近私は、認知症になった時の不安や混乱を減らすために、発症の前の心の準備について考えるようになった。自分がアルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症で療養している場面を想像し、認知症の人たちが教えてくれたことを手掛かりに思いを巡らせている。同じ認知症になるにしても、認知症になって遭遇するであろう葛藤について、また耐えなければならない困難について覚悟しておくことで、多少なりとも苦悩を減らすことができるのではないかと考える。そして、いわゆる行動心理症状(BPSD——私はこの言葉が好きではないが)を多少なりとも減らすことできると考える。

 自分が認知症と診断された時のことを考えてみた。認知症の人の手記をみると、次のようにして認知症になったことを乗り越えようとしていたようである。

 ある人は、物忘れがひどく仕事の失敗も増えたが、自分でできることはまだまだたくさんあると自分に言い聞かせた。またある人は、自分がどんなに多くの能力を失い変わってしまったとしても、自分が自分であることに変わりはないと考えようとした。

 こうした受容は誰でもできるものではない。そのような場合は、あえて認知症と直面せずに自分の中で認知症を保留にしておくことも一つの方法かもしれない。ボランティアやリハビリに無心に没頭するのもよいかもしれない。自分の弱い部分を赦(ゆる)すことも必要だと考える。受容に関しては時間をかけ幅を持たせたい。

 自分が気乗りしない介護サービスにも参加するように説得され、なだめられることになるかもしれない。また周囲から“認知症”の人としてみられることになる。見下され一人の人として扱ってもらえないかもしれない。社会はまだまだ認知症に不寛容だからである。この点は強い覚悟が必要であろう。

 認知症の治療薬以外に、抗不安薬や睡眠導入薬、場合によっては抗精神病薬の服用をすることになるかもしれない。質の高い医療とケアに巡り合えれば、そうした服薬なしに療養できるが、例えば、長年の確執を抱えた家族との同居をやむなくされた時や、医療職やケア職とそりが合わずうまくやっていけない時は、ストレスが高まって向精神薬の服薬のリスクは上がるであろう。

 自分の先入観や偏見を払拭(ふっしょく)する方法を残念ながら私はまだ知らないが、ここまで述べてきたことを病前から覚悟しておくだけで、服薬のリスクを下げることになるのではないであろうか。また、どうしても家族と一緒に暮らせなくなったときの選択肢(服薬か施設入所か別の方法か)をあらかじめ家族に伝えておくことができればなおよいと思う。

2022年6月