認知症の人の声を聴いていますか

話し続けることに意味がある

東京慈恵会医科大学精神医学講座 教授 繁田雅弘

 診断が同じアルツハイマー型認知症でも、症状は人によって異なる。例えば同じくらいの進行の程度でも、会話が普通にできる人と難しい人がいる。ある81歳の男性は、診察室でも言葉がほとんど出てこなかった。話が理解できていないように見える時と、話そうとしても言葉が出ないように見える時があった。失語の症状には、人の話の理解が難しくなる症状(感覚性失語)や、言いたいことを言葉として発するのが難しくなる症状(運動性失語)がある。

 日課や家事などの日常生活の動作に時間がかかり、途中で失敗することも本人にとってはつらいであろう。しかし、人の言っていることが理解できなかったり、自分の言いたいことが言えなくなったりすることは、もっと苦しいと思う。家族にとっても、話を理解しているかどうか分からなければ、話しかけることが減ってしまってもやむを得ないのではないか。本人は人との関わりが減り孤独を感じているに違いない。

 その男性は月に1度、息子と息子の妻を伴って来院した。3度目の診察で、家族と一緒に行った温泉の話が出た。旅館の建物、温泉の効能、夕食の内容、飲酒、翌日の散策などについて家族から簡単に話を聞いた。続いて本人に話しかけた。

 「温泉は気持ちよかったでしょう」「長くつかっているとのぼせますね」「出た後は汗が止まらないでしょ」「そのときに飲む水がおいしいですね」「旅館の料理はテーブルいっぱいに並びますね」「お酒もおいしかったでしょ」「のりのきいたシーツは気持ちいいですね」「そんな時の眠りは格別ですね」「目覚めの気分も最高だったでしょう」などと私は本人に話し続けた。

 すぐに思い出せなくても、話し続けるうちに、部分的に記憶がよみがえってくることがある。思い出した記憶がその時のことか、過去の旅行のものか確かめることはできないが、治療的な観点からは大した違いではない。とくに自尊感情や自己肯定感を高めるための精神療法(対話)なら、記憶の正しさは関係なく、本人に関心を持ち、真剣に話しかける人がいることを感じてもらうだけで、何らかの効果を期待することができる。話し続けているうちに、本人から片言の言葉が出ることもある。

 今回の場合は失語のため、記憶がよみがえっても言葉を発することは難しいかもしれない。また、感覚性失語なら私の話自体を理解するのが難しい。それでも、こうして話し続けることに意味があると考えている。本人にとっては、どこかの知らない国の言葉のように聞こえているかもしれない。意味もわからない。しかし、相手を見れば、真剣に自分に話しかけていることは分かる。自分に一生懸命伝えようとしている人がいることは認識できるはずである。

 この人も、会話ができなくなってからは、自分に話しかけてくれる人がめっきり減ったに違いない。しかし、久しぶりに自分に向かって何かを伝えようとしている人がここにいる。そう感じてくれるだけで治療的意味がある。

 以前に高度の記憶障害を有する人(一方、失語症状はほとんどなかった)から「私は先生と何を話したかいつも全然覚えていないけど、また話したいと思います。病院に来ると明るい気持ちになりますから」と言われたことがある。中等度以上に進行しても、対話を通して好ましい感情、例えば、やさしさ、温かさ、懐かしさなどを伝えようと試みることは意味があるとこの時に確信した。その経験から、失語が強く、どれだけ伝わっているか分からない人にも信じて話しかけることにしている。

 母は乳児を抱きながら「早く大きくなって」と話しかけて、乳を与えるではないか。言葉が理解できないことを母は知りながら、もっと大切なものを伝えているではないか。

2022年10月