認知症の人の声を聴いていますか

違和感を共有できるか否か

栄樹庵診療所院長・東京慈恵会医科大学名誉教授 繁田雅弘

 周囲が観察できるような認知症の行動・心理症状(BPSD=Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia)ではなく、その手前の苦悩や葛藤を理解して支えたいと思う。そこを支えることができればBPSDに至ることもないだろう。そのためには、まず本人が病気についてどのように理解し、どのように受け止めているかを把握することが必要である。まさに病識である。

 自分に起こっている変化(症状)をまったく認識していない人もいる。いわゆる病態失認といわれる状態である。「病気であることを認めたくない」とか「病気であることを隠したい」というのではない。変化にまったく気付けないのである。だから周囲が指摘すると、想定外のことに驚き、戸惑いのあまり言葉を失ったりする。

 その後は指摘した人との信頼関係や情緒的関係による。自分では病気だとは思わないが信頼できる人が言うのだからそうかもしれないとか、私を貶(おとし)めようとしてそういうことを言うのだ、などじつにさまざまである。

 このような稀(まれ)な例を除けば、周囲からすると不十分かもしれないが、自分の変化に何らかの形で気付いていることが多い。否定や否認をしたとしても、漠然と何かを感じていたり、何らかの違和感を持っていたりする。初期治療での要点の一つは、本人の感じている漠然とした違和感のようなものを共有できるか否かによる。

 私は病感につながる違和感についての問いかけから始める。

 「病院に行こうと思った時は、どのような違和感を感じていましたか?」「日常生活で自分の衰えを思い知らされたことはありますか? それはどのような場面でしたか?」「ご家族から身に覚えのない指摘を受けたことはありますか? それによってストレスが溜(た)まったのではないですか?」「生活上の失敗をご家族から指摘されると、確かにそうかもしれないと思いますか?」

 はっきりした答えが返ってこなくてもさまざまな問いかけをしてみる。明快に答えられる人は少ないように思われる。しかし問いかけをきっかけに、本人に自分自身の状態を客観的に観察しようとする態度が出てくることもある。

 続いてその変化をどう理解しているのか、どう受け止めようとしていたのかを尋ねる。いわゆる病識につながる質問である。これらの質問は本人の内省力や洞察力によるところが大きい。学歴や職歴には関係ない。自分と向き合える人は、適格な言葉でなくても自分の内面を見つめる言葉を発することができる。

 「その変化の原因はどこにあると考えましたか?」「体の病気ですか? それとも精神的なものですか?」「年を取れば誰でも経験する変化だと思いましたか?」「認知症かもしれないと思いましたか?」「誰かから認知症の疑いがあると言われましたか? それを聞いて驚きましたか?」「認知症というものにどのようなイメージを持っていますか?」「最近は認知症の治療を受けながら働いている人もいます。何もできなくなるようなイメージがありますか?」「現在、ご自分が認知症だと思いますか?」

 これらの質問によって、認知症になっても自分らしく考えられること、あなた自身がいなくなるようなことはないことを伝えたいと思う。

 疾患の理解も受け止め方も十人十色である。自分が認知症だとほぼ確信して来院する人もいれば、「認知症でないこと」を確認しようと思って来院する人もいる。それを把握することなく、一定の人間関係を築くのは難しい。特に初対面では本人の想(おも)いを察しながら恐る恐る問いかける。人が認知症医療に失望するのは、認知症の治療法がないことに対してではなく、医師や医療専門職の配慮のない言動に対してだと思う。

2025年6月