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仙台シンポ特別報告「認知症のケア」

特別報告「認知症にどう対応するか」
山崎 英樹氏(いずみの杜診療所医師)

死生観持つことが大事

 家にいるのに「家に帰る」と出ていく人がいるとする。この人を、どのように理解したらいいのか。

 「ココロとカラダ、人間の全部」。あるカメラメーカーのキャッチコピーだ。確かにそのとおりで、認知症の人を理解するときも、その人のカラダの状態を頭で知り、ココロのありようを心で気づく必要がある。

 家にいるのに家にいる自覚がないという事態は、心だけでは計りがたい現象だ。体に何か異変が起きていると考えるのが自然である。医学的には見当識障害といい、意識障害や知能障害、先天性なら精神発達遅滞、後天性なら認知症で生じる。高齢者では、脱水や薬の影響による意識障害と、大脳の後方に病変が広がるタイプの認知症(アルツハイマー病やレビー小体病など)が問題になる。

 外界の認識には大脳の後方が、その情報に基づく行動には大脳の前方が関係する。大脳の後方に病変が広がると認識が崩れて見当識障害になる。大脳の前方に病変が広がるタイプの認知症では見当識が保たれ、迷子になることはない。

 病変部位とはあまり関係なく、脳に障害のある人に一般的にみられる傾向や態度も知られている。意図的に何かをしようとするとかえってできなくなり、せかされたりすると余計に混乱し、極端に疲れやすく、集中力が落ち、繰り返しが多くなり、情緒不安定になる。

 体の状態を知ることによって、認知症ケアに伴うさまざまな「なぜ」が、少し軽くなるような気がする。なぜこんなに忘れるのか。なぜこんなことをするのか。なぜの答えをみつけるために、そして何をあきらめ、何にこだわればいいのかを整理するためにも、頭でわかることは決して無駄ではない。

 次に「家に帰る」と出ていく人の心について考えてみる。家に帰りたいという気持ちは直感的に理解できる心情である。「家に帰りたい」と思う心そのものは、認知症のあるなしに関係のない普遍的なものだ。他人の心に気づくには、ある種の感性が必要だ。専門性とともに「その人と何ができるか」の関係性が、知識とともに知恵が、資格とともに資質が、能力とともに人柄が、認知症ケアでは問われる。

 認知症ケアでさらに大切なのは、積極的で肯定的な死生観をもつことではないか。認知症ケアを続けていくと、いずれは老いや死に行きつく。それらの不如意性を前向きに超える死生観がないと介護の現実は支えきれない。

2011年2月