輝く魂 人間の神髄見た 仙台「いずみの杜診療所」山崎英樹医師

  仙台市のいずみの杜診療所医師で、清山会医療福祉グループの代表でもある山崎英樹さんに、今回の震災レポートを寄稿してもらった。

 被災地では医療の不足が叫ばれています。同時に、もの言わぬ要介護・要援護者へのケアの不足にも、目を向ける必要があるのではないかと思います。

 ライフラインが断たれ、余震や寒さが続くなかで、避難所や家庭での生活が立ちいかなくなった人がたくさんいます。当診療所関連の5つの介護施設には、震災から2週間がすぎても合計で36名が臨時に宿泊しています。

 被災当日デイサービスにきていて、地震と津波で家が壊れたり浸水したりして帰れなくなった人、避難所生活に適応できなかった人、避難所の閉鎖に伴って家に帰ったものの停電と寒さで体調を崩した人、高層マンションのエレベーターが動かなくて部屋にこもってしまった人、車がガス欠で給水所にも食料の買いだしにも行けなくなった人、家族が被災してケアする人がいなくなった人、家族が被災した職場の復旧に駆り出されてしまった人、ガソリン不足でデイサービスや訪問介護が止まると家ではもう介護できなくなってしまった人、介護用品や食料が手に入らず家で介護できなくなった人等々。そして施設に泊まる職員の子どもたちや、余震が続くまっ暗な夜に耐えられなくなったご家族まで宿泊していました。

 こうした緊急で深刻な宿泊ニーズに、わたしたちの施設は十分な環境で応えられたわけではありません。通信が断たれ、停電、断水、ガス供給停止、ボイラーの故障によって施設自体が機能しないだけでなく、職員自身も多くがやはり被災者だったからです。職員全員が幸いに無事だったものの、故郷を津波にのまれ、家族や親族を亡くした人がいくらもいます。家が被災したり、ガソリンが不足したりして出社できない、あるいは家に帰れない職員も多数おり、避難所と化した施設は労務管理も行き届かず、割れた窓から吹く寒風に耐えながら、夜はろうそくの灯りを頼りにそれぞれの良心にケアを委ねるしかないという非常事態が何日か続きました。

 食事や介護用品の不足は取引業者や行政の支援を受けながら、またご家族や地域の温かい寄付によって、どうにかしのぐことができました。もっとも、未だに1日2食、おにぎりと野菜スープだけの簡素な食事です。介護施設における備蓄は利用者分の水と食料だけでなく、多くの人の避難所と化したときの予備も想定すべきでありました。また、長期の断水にそなえた清拭用品の備蓄にも留意すべきです。職員はポータブルトイレに用をたし、庭に穴を掘って捨てました。上下水道が機能しない中では、割合に広い庭が大量の排泄物を捨てるために役立ちます。

 ファンヒーターはあっても停電で使えず、いつの間にか石油ストーブの時代は過ぎており、人肌の暖気だけで夜の寒さを耐えなくてはなりません。電灯と乾電池が足りず、ろうそくのささやかな灯りが、せめて暗闇の冷気を気分だけでも和らげてくれるような気がしました。ただ、敷きつめられた布団で1階のフロアは足の踏み場もなく、ろうそくが倒れると危ないので、お年寄りがそばを歩くたびに皆で神経をとがらせました。

 さらに停電で困ったことは、吸引器が使えないことです。強い揺れのために非常用発電機が壊れ、一晩中アラームが鳴り続けました。車のバッテリーを電源とするインバーターをみつけてしのぎましたが、こうした事態を想定しておくことが必要だと痛感しました。

 敷地に地割れが走り、建物の壁材が割れ、水道管やガス管が破裂した施設もあります。数年前に実施した耐震診断で、大地震でも倒壊の危険はないという確信はありましたが、余震のたびに不安がよぎりました。震災後、7日目でようやく実施できた耐震診断(応急危険度判定)で構造躯体に問題はないと判定され、これを職員や宿泊者に伝えて不安を払拭することができました。ある程度大きな設計事務所との日頃のパイプが役立ちました。

 この間、実はふだんより濃密なケアが、あるいはケアを超えた双方向の関わりがなされていたように思います。それは、避難所と化した施設で混乱するお年寄りが意想外に少なく、それどころか逆に活気をとりもどし、あるいはすてきな笑顔に励まされる職員がたくさんいたからです。

 「罪とは魂を曇らせるすべてのものをいう」(アンドレ・ジイド)

 一見、人間の魂をも曇らせてしまうかにみえた大災害でありましたが、避難所と化した施設の中で私が見たのは、より魂を輝かせながら励ましあって生き抜く人間の真実であったような気がします。

 やまざき・ひでき 国立南花巻病院神経科医長を経て、平成11年、仙台市で「いずみの杜診療所」を開設。医療法人社団「清山会」理事長など「清山会グループ」代表。「認知症の人と家族の会」宮城県支部顧問。

2011年4月