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認知症の母撮影  関口映画監督 特別講演  沖縄シンポ

母の介護 私の器が試されている

気張らずに「1日1笑」

特別講演をする映画監督の関口佑加さん

 せきぐち・ゆか 映画監督。1957年、横浜市生まれ。大学卒業後、オーストラリアへ渡り、89年の第1回監督作品「戦場の女たち」はメルボルン国際映画祭でグランプリを受賞。前作「THEダイエット!」(07年)で自らを被写体に涙ぐましい減量作戦を撮影し、海外で多くの賞を受けた。現在は認知症の母親を主人公にしたドキュメンタリー「此岸、彼岸」を制作中。

 母と一緒に横浜で暮らしています。母は昨年5月に初期のアルツハイマー病と診断されました。その前の2009年から、自分でカメラを持って回し始めました。なぜ母を被写体として撮りたいのか。ドキュメンタリー映画の監督は魅力的な被写体をいつも探している。アルツハイマー病の母は私にとってはものすごく魅力的なのです。母はごく普通の人です。世間体を気にし、良妻賢母で、私と妹を育て、米屋をしていた父の商売を助け、一生懸命に生きてきた昭和ひと桁の女です。認知症の症状が出るようになってから、いろんな事にこだわらなくなり、ガハッハとか笑うような性格になりました。これはすごいと思ました。娘というより監督目線です。でも、私の中では監督と娘というのは切っても切れない存在、母を見たとき、ああ撮りたい、と思ました。

 映像クリップを持ってきました。最初に母がアルツハイマー病といわれる前に、あれっと思うことがありました。記憶がぽっこり落ちてしまう。母の誕生日の2009年9月22日、奇しくもカメラを回し始めたのです。母が79歳になった時の話と、私は「梅干し事件」と呼んでいるのですが、梅干しが突然配達されるという話です。もう一つ、私が確信的に認知症ではないかと思ったのは母の冷蔵庫を見た時です。母はきちっとした人で冷蔵庫も整理していたのですが……。三つのエピソードを続けてご覧ください。(映像流す)

 こういうエピソードが続いて、あれって思うようになりました。私は54歳、周囲は親御さんの介護している人が多い。いろんなアドバイスを私にくれました。みんな最初にいうのは、とにかく診断を受けなければならない。次に診断が出て症状が進むと絶望が来ると言うのですね。最後に、介護をしながら別れを迎える、とそういうありがたいアドバイスをいただくが、たった一人、京都の男性の友人、彼もアルツハイマーのお父さんを介護して、亡くされていますが、私にくれた彼の助言がちょっと違いました。彼のお父さんの症状が進んで、息子の顔が分からなくなりました。彼はいろんな病院に連れて行ったり、リハビリをやりました。彼は運転していたので、お父さんは彼を息子ではなく、運転手さんだと思うようになりました。ここが彼のすごいところですが、運転手さんになりきろうと考えたのです。帽子かぶって手袋して、運転手になりきった。お父さんと一緒にお風呂に入ると、お父さんが「なんと奇特な運転手さんだ」と喜んでくれたそうです。これは私の心に響いたアドバイスです。彼はアルツハイマー病を一緒に楽しんで、と言ってくれました。その言葉は私の気持ちを楽にしてくれたのです。

 母と三十数年ぶりに、今一緒に暮らしています。介護の問題は、私にとって介護される側の問題ではなくて、介護する側、私の問題なんだ、と感じさせられることが多い。母によって私という人間の器を試されている、そういう風に感じます。母を受け入れられる、られない、というのは母の問題ではなくて私の問題なんだ、と感じさせられています。

 母はいろんな能力がなくなって行く中で、むしろアルツハイマー病以前よりすごいなと思うのは直感とか本能で人を見抜く力。本気で母に向かっているのか、そうでないのか、母は見抜きます。残っている能力の中で感性だけは私を驚かせます。日々大変なこともありますが、母に笑わされることもあります。介護する側は、自分自身楽になるような接し方をしたいです。そういう意味で介護は人生そのものです。自分の人生を考える機会を母からもらっていると思います。(映像を流す)

 私の息子は事情があって、シドニーで父親と一緒に暮らしています。去年の12月から1月にかけて横浜に来て、1カ月ほど生活しました。母の思いの中では、このままずっと横浜にいて、3人の暮らしが続くと思っていたらしい。で、いよいよ息子がシドニーに戻るとき、映像を見ておわかりのように、喜怒哀楽を素直に出す母です。(映像流す)

 私は娘であり監督であります。息子にも母親だったら聞かないようなことを聞いてしまいます。「お母さんのこと、捨てたの」とか。つまりホームムービーを作っているわけでないのです。世に問う作品を作るという意識が強くあります。業が深いと思います。

 私は気張って介護をしません。楽しく、できるだけ笑って、自分では「1日1笑」と言ってます。介護する人間も楽にできるようにしたい。いろんなヘルプを上手に使って、母とこれからも行けたらいいなあと思います。母は引きこもりなので、状況によっては家に人をどんどん呼んでこようと思います。そういう発想でいまやっています。最後のクリップを見ると、母と娘の関係が分かると思います。(映像を流す)

 終わります。

2011年8月