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認知症予防シンポ )特別講演 木谷泰子さん

「人生、ありがたいこっちゃ」で生きる

木谷さんのアコーディオン伴奏に合わせ、友人らが歌と踊りを披露

(冒頭、木谷さんのアコーディオン伴奏に合わせ、友人らが歌と踊りを披露)

 みなさん歌ってくれてありがとう。今日は楽しく行きましょう。母は認知症になって15〜16年。でも少しずつ進歩してるからね。少しずつ。まだ93歳で。なんとか泰子の「や」まで言えるようになりました。だからどこまで行くかなと思って。100歳までは行かせてあげたいと思ってね。

 母を支えようと、やっぱり人の中に出さないとダメだと思って、日中、お客様と語らえるサロンのような雑貨屋を開いたんですね。そしたら近所のおばあちゃんが1カ月に一度集まる場所になったんですね。そこで歌を歌ったり踊ったりする。

 ある時私が一人でお店に連れてきてね、おいしいものを食べとったら、今まで反応全然なかった親がね、「自分ばっか食べて」って言われたの。その叱られた喜び。ああ、なんて久しぶりに怒られたって。みんなも「ああ、お母ちゃん怒らはった」って。この怒られるこの喜び。久しぶりの感触や言うてね。

 人間は一人じゃ生きられないし、私はいつもたくさんの人に見守られてお母さんを介護できてるの。一人だったら絶対にできない。ノイローゼになる。いつも腹ばっかたてとったから。認知症って分かるまでね、怒ってばっかりでおかあちゃんがなんか言うたら「あんたは死ぬぜ」何やらばっかり言うてね、私に怒られる。認知症ってことが分かってからいっぺんに優しくなったの。絶対に怒らんとこって。

 みんなに助けてもらおうと思ったの。だからうちのお客さんでもみんな来る。そしたら私が忙しくてね、ご飯食べさせられんときとかな、お客さんが食べさせてくれるの。みんなに悪いがね。だから一人ではできない。本当にいろんな人の関わりで、助けてもらって。こうして守っていけば誰でもできるなと思うようになりました。だから一人で抱え込んではダメ。

 私のおとっちゃんは脳梗塞(こうそく)だったから、つらかったろうな、もっと優しくしてあげればよかった思って。別にお父ちゃんに今優しくできなくても、他の人に今優しくできるよね。お父ちゃん死んでしまったもんね。3日に1ぺんね、うんち出んようになるがね。摘便取ってあげとったが。出たときのその感触。その喜び。だから普通に出るという幸せ。気づかなかったね毎日。これもやっぱり今までのお父さんが私に教えてくれたおかげやな。なんでもつらいことも今まで経験したことは誰にでもできるんだ。それを見ている子どもたちもするのが当たり前だと思ってるの。だから私が父親の介護をしとる時に、息子がね、夜大変やろ、俺がしよかって手伝ってくれた子もいます。

 認知症というのは急に大人になったり、子どもになったりするがね。だからあるときしゃきっとした思って「大人みたいや」って思って、病院行って一人置いてきたら急にどっかから赤ちゃんの声みたいのが聞こえる。「あ〜んあんあん、おっかっちゃ〜ん、おっかちゃ〜ん助けて〜」って。「あれ、お母ちゃんの声じゃなかろか」って行ったら、やっぱりお母さんが今度は昔に帰っとるがいね。お母さんは自分の親を思い出してるの。「おっかちゃんよ」って言うたら、急に私も子どもみたいになって、「おっかちゃん、私やよ」言うて。だからそん時そん時で上手な対応をしてかなならんなと思うわ。

 施設にばっかりおったら大変やろ思って、ファミリーレストラン夜中に連れてくがね。そしたらみんな若者がデートしとってにこにこーって笑ろとるがね。新湊は昔のおっかちゃんがうどん屋出してたから、みんな知ってるの。「おっかちゃん、あんたがんばっとんがいねー!」言うたら、おっかちゃん訳わからんけど「うーん、誰やろか」って思とったがね。「ほら、おっかちゃんあの人タテノさんやがね」って言うたら「ああ、ああ」って。「タテノさん言うてあげな、喜ばはるよ」言うたら「……」って言う。声出んがね。でも、みんな声掛けてくださるの。おっかちゃん、おっかちゃんって。

 私も今度はiPadもちょっとやってみよう!と思って、68歳から息子に言うて、「私もするよー!」言うて。そしたらiPadを買ってきてくれたの。これで1カ月ほどしとったらね、できたの。私うれしくてうれしくてね。68歳からでも出来るんだって。だからみなさんいくつになっても目標持とうね。そしてお母さんのことを思い出して。最後にみなさんと赤とんぼを歌いたいと思います。みなさん、それを自分のお母さんや、今まで恩になったみなさんに向かって、みなさん思い出して歌いましょう。

(「赤とんぼ」会場一斉に唱和)

 みなさん、本当に私たちこうして生きてるのはね、ほんとに大きい二十何億年の歴史を経て、今私たちの番が来てるんですね。そのことを思ったら、本当に大河の流れの一滴に過ぎない。ほんの点に過ぎない。地球の。だから悩みも、そんなに悩むことはない。100年後に誰もいないんだったら忘れてしまってる。だからなにを残すか。やっぱりいいこと。「あの人こうやったね」って。それだけが残るの。だから今日からみなさん、まず自分の隣の人に優しく楽しく明るくみんなでお互いに助けあって。だから困ったときは私の方に電話してこられーって。紙の下に書いてあるから。だからみんなで助けあって行きましょう!(拍手)

 きだに・やすこ 1944年、富山県射水市生まれ。そろばんの木谷綜合学園の副学園長を務める傍ら、両親の介護をきっかけとして音楽ボランティア「ぬくもりの会」を結成し、病院や老人保健施設への慰問を開始。07年に認知症の母の介護体験を綴ったエッセー「ありがたいこっちゃ」、09年には「喪われていく『母』の物語」を出版。

2013年8月