「毎アル2」関口監督VS新井教授トークショー  <高知シンポジウム>

「母はとても魅力的で史上最強の被写体」

「介護は楽しく できないことはプロに」

関口祐加監督のプロフィール
せきぐち・ゆか 映画監督。1957年、横浜市生まれ。大学卒業後、オーストラリアへ渡り、89年の第1回監督作品「戦場の女たち」はメルボルン国際映画祭でグランプリを受賞。「THEダイエット!」(2007年)で自らを被写体に涙ぐましい減量作戦を撮影し、海外で多くの賞を受けた。12年認知症の母親を主人公にしたドキュメンタリー「毎日がアルツハイマー」を公開。現在まで、日本全国150カ所以上で上映される大ヒットとなる。その続編となる「毎日がアルツハイマー2 関口監督、イギリスへ行く編」が完成。昨夏より東京、横浜ほか全国にて順次公開中。

 新井平伊教授 「毎日がアルツハイマー」から「毎日がアルツハイマー2」へ、どんな思いで映画を作製したのですか。

 関口祐加監督 「毎アル」の時、母は初期の認知症だった。2年半閉じこもり苦しそうだった。うちはお笑い家族なので笑いで母を包んであげようとした。「2」は母の認知症が進み、本人も言っているように辛さがなくなってきた。私の言うことを何でも聞き、状況的には良く思えるが、これから向かう母の最終ステージで認知症のケアをどうすればいいか。「パーソン・センタード・ケア」という言葉に出会い、その治療をやっている施設に行ってみたいと思った。「2」は私の認知症ケア探求の旅です。

 新井 医学的な観点からすると、認知症初期の大変だった時期から、お母さんを受け入れられるようになった段階で、客観的な対応をどうしたらいいか、レベルアップしたいと考えたのは素晴らしい。会場のみなさん、「毎アル2」を見て、監督に質問がありますか。

 質問者 カメラを回されていることをお母さんはどんな風に受け止めていたか。抵抗はなかったか。

 関口 私から見れば、母はとても魅力的な被写体だったのでカメラを回したかった。認知症になる前の母に初めてカメラを向けた時、すごく嫌がった。その理由は、私がオーストラリアまで勉強に行ったのに映画監督になったことに頭に来ていた。母は認知症を患ったことで、娘が映画監督になったことを受け入れてくれた。私は母を史上最強の被写体だと思っているから、逆に撮らしてやるという気持ちだったのではないか。私は母の認知症をちっとも恥ずかしいと思っていない。老いていろいろなことが出来なくなるのは当たり前です。その日常生活の中にカメラが介在している。

 新井 ドキュメンタリー映画の一番素晴らしいところが出ている。監督は太っ腹ですよ。散らかった部屋をそのまま映す(笑い)。

 関口 太っ腹って、私の体のことを言っているのでしょう(笑い)。

 新井 私の部屋も散らかっている。

 関口 知っています。教授室を撮影に行ったとき、整理整頓させていただきました(笑い)。

 新井 映画の中でお母さんは「うるさい」と怒る。人間としての正直な思いが出ている。認知症になっても人間らしさ、ピュアな気持ちは残る。

 関口 認知症になる前の母は、そういうところを見せなかった。認知症になったら素直に出す。そこが娘としてはいとおしい。

 新井 私は精神科が専門。生きていくというのは、人とのしがらみやストレスの中でいろんな思いがあって言動する。認知症になると、しがらみが減り、人間のピュアな部分が出てくる。もう一つの条件は、いい介護ができていると、患者さんは穏やかな日々を過ごせる。そうでないと、イライラしたり、怒りっぽくなる。監督がお母さんをいとおしく感じるというのは全体として介護がうまく行っている。

 関口 最近、私は股関節変形症で手術し、母と5週間別れた。その時母は不安だったのか、すごく荒れた。退院後、1週間自宅でリハビリ中、母から見れば、私が自宅にいるのに何で施設に泊まり続けなければならないんだ、邪魔なんだろう、と怒る。説明してもすぐ忘れる。最後に私は手術した傷口を母に見せた。水戸黄門の印籠(いんろう)ではないが「これを見てくれ」と。それから母は収まった。たまには見せようと思う(笑い)。

 新井 お母さんは傷口を見て、まだ娘はリハビリの途中なんだという判断ができる。お母さんは純粋なアルツハイマー病ではなく、脳血管病変も伴っている。進行はゆっくり。瞬間的に素晴らしい判断ができ、もともと高い知的能力があったことをうかがわせる。認知症になったら人間としての話が通じないというのは大変な誤解だ。映画を見て一つ思うのは、カメラを回しているとき、監督は自分を客観視している。普通、身内であればあるほど認知症の人に感情的になる。我々も身内には治療できない。介護もプロの人、家族の中ではお嫁さんが客観的、冷静にできたりする。客観的介護に撮影が役立っている。

「認知症でも人間らしさ、ピュアな部分は残る」

「介護に良い影響を与えるのは行動力」

新井平伊教授のプロフィール
あらい・へいい 順天堂大学大学院精神・行動科学教授。1953年生まれ。1984年順天堂大学大学院修了。東京都精神医学総合研究所主任研究員、順天堂大学医学部講師を経て、1997年より現職。1999年、我が国で唯一の「若年性アルツハイマー病専門外来」を開設。日本老年精神医学会理事長、日本認知症学会理事、国際老年精神医学会(IPA)理事。おもな著書に「アルツハイマー病のすべてがわかる本」(講談社)、「最新アルツハイマー病研究」(ワールドプランニング)など。

 関口 母を撮りながら、娘と監督がいつもいる。監督の私は作品にしたいと思う。表現する人間の宿命なのかもしれない。チャップリンの言葉ですが、人生はクローズアップで見ていると悲劇でもロングショットでは喜劇だったりする。

 新井 テレビ、映画、小説で取り上げられる認知症はお涙頂戴的なきれいごとが多い。この作品はナマの姿をこれでもかと出してくれる。そこに人間らしさ、悲劇の中に喜劇があってとてもいい。ここに至るまでの苦労はかなりあったのでしょう。

 関口 オーストラリアが好きだったから29年間いた。日本に帰ってくるつもりは全くなかった。2009年クリスマス休暇で帰国した時、母がクリスマスケーキを食べたのに「孫と約束していたケーキを買い忘れた」と真っ青な顔で言った。母の記憶が衰えているのを知っていたので、その出来事には驚かなかった。私の胸を突いたのは、あの気丈で良妻賢母だった母がものすごく不安な目をしたこと。それを見て瞬間的に帰国しようと思った。母のためでもあるが、実は私のためだ。私を好きにさせてくれたことへのお礼もあるし、今は母が私を必要としているという気持ちがあった。

 新井 同居してお母さんの病状が変わりましたか。

 関口 最初、母はめちゃくちゃ反発した。母と娘の関係は難しい。特に私がだらしないというのが母の中にあり、そんな私にイチイチ言われたくない、と。私自身が手を出せない時にどうするか。ここがポイントです。家の中がきたなかろうが、外から人を連れてきてしまう。出来ないことはプロにお願いする。帰国してから母を医者に連れていくのに4か月かかった。医者につなげられないと介護保険にまで行けない。大変でした。その時、新井先生に出会った。「お母さんは認知症だから閉じこもっているのではない。認知症になって苦しんでいる。自ら選択して閉じこもっている」と言った。母は苦しいんだ、と納得した。そこから母の視点、母から見た世界観はなんだろうと考えるようになった。

 新井 僕が感激したのは監督の行動力です。プロの手を借りる、どこへでも行く、だれとでも相談する。相談すると、プロは何かしらヒントを与えてくれる。その中から役に立つものを使う。結局、認知症介護で良い影響力を与えるのは行動力しかない。

 関口 ケア・マネジャーさんは私が大変なのを見て「デイサービスを使いましょう」と勧める。母は「私が邪魔だからデイに行かせるのか」となる。では、どうするか。私はプランBと呼んでいる。人生はプランAがもちろんいい。でもプランAでうまく行かない場合もある。母のBは何なのか、を思った時、母はイケメンが好きだ。私もそうですけど(笑)。私はケアマネさんにイケメン介護士を探してきてくれと頼んだ。2週間かかったが、本当に探してくれた。イケメン介護士は何回も通ってきてくれ、母はやっとデイに行くようになった。私が母との連絡帳に「うらやましい」と書くと、母は「うらやましいだろう」と言う。介護は楽しくするのが大切です。

 新井 ここで会場から質問を。

 質問者 私は老老介護で6年目に入っている。認知症の妻は人間としての尊厳、プライドを持っている。映画で印象的だったのは、イギリスのドクターと看護師の話。介護する側が爆発すると虐待にも行くと言っていた。日本でも連れ合いを殺したという記事を何度も見る。関口さんの家族は大変恵まれていると思う。揺りかごから墓場までの英国とは違い、日本でああいう介護は難しい。

 新井 今の日本で理想的な介護はご指摘のように難しい。それから、認知症の人は人間としての尊厳を最後まで持ち続けます。介護する側が小ばかにした態度をすると、その瞬間のことはわかっています。監督の家庭が恵まれているかというと、そうではないと思う。監督が四方八方に動いて今のところに落ち着いてきた。苦労は人一倍されている。介護にパーソン・センタード・ケアを取り入れようと、こういう映画を作る。それは一つのモデルとして皆さんに情報が提供され、介護の手がかりとなる。

2015年1月