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認知症に優しいケア 順天堂大学大学院教授 新井平伊さん

 11月11日は厚生労働省が制定した「介護の日」。認知症をキーワードに、介護する人、される人のどちらにも優しいケアについて、順天堂大学大学院の新井平伊教授に聞きました。認知症の母親を主人公にしたドキュメンタリー「毎日がアルツハイマー」シリーズの関口祐加監督に「母と私の認知症の日々」を寄稿してもらった。

あらい・へいい 順天堂大学大学院教授。1999年、我が国で唯一の「若年性アルツハイマー病専門外来」を開設。日本老年精神医学会理事長、認知症予防財団会長。おもな著書に「認知症と共に輝く日々をめざして」(飛鳥新社)、「アルツハイマー病のすべてがわかる本」(講談社)など。

—— 認知症の人に対するケアで陥りやすい誤解と望ましい接し方を教えてください。

新井平伊教授 認知症が超高齢社会で注目されるのは、とてもいいことですが、認知症になると脳の働きが全部駄目になるとか、もう人生が終わってしまったと思われるのが一番の誤解です。認知症は長い経過を持つ病気で、アルツハイマー病は20年ぐらいです。認知症によって脳の働きが悪くなっているのはごく一部で、その他の95%は正常に働きます。そうすると、認知症のため理解とか判断に間違いはあっても、正常な機能の働きで人との交流も頑張っていける。まだ人生は、家族も含めて終わりじゃないというのが一番のメッセージです。病気ばかり強調されると困ります。認知症の人の人生を共に歩めるところが大事です。

病気があることで絆が強まる

—— これはなかなかいい接し方だという事例がありましたらご紹介ください。

新井 家族や職場の同僚がまったく病気にならないなんてありません。むしろ病気があることで絆が強まる。それがいちばん印象的ですね。もちろん認知症の無い人生のほうがいいし、認知症があっても人生はまだやれると正しく理解すれば、みんなで支えあう気持ちが生まれます。バラバラに過ごしていたかもしれない家族が、むしろ病気によってまとまる。家でも近所でも会社でも支えあう。そこから幸せを感じるということがよくあります。

 病気は試練に違いありませんが、家族の絆が強まり、より充実した人生を歩む人がたくさんいます。特にお年寄り夫婦では、夫が妻の介護で大変だけど、それが生きる証しになっている。いいことも大変なこともあれば、それを乗り越えることでさらにいいこともある。

—— 成長するという感じですか。

新井 そうですね。成長と言えば、若年性アルツハイマー病の場合は子供がものすごく成長します。40代、50代で親が苦労しているのを見ると、子供はみんな立派になる。よく講演でも言います。親は若年性認知症で苦労するけれど、神様はそれ以上のプレゼントを用意する。自分はしっかり生きていこうと、人生に対する思いを変えてくるのです。

—— 先生はよく講演で恩師の故飯塚禮二先生の話をご紹介されています。環境が変化したり家族など周りの人が患者さんに期待しすぎたりした時に認知症の人は落ち着かなくなると。また、認知症の初期の人には、周りの人が心の動きを正しく理解し、優しく対応するということが薬よりも大事だと。薬よりも大事というのは、なぜでしょうか。

新井 認知症の人は、特に初期は、失敗しないように人に迷惑をかけないようにと、いろいろ敏感になっているので、飯塚先生の話というのは、そこであまり周りが期待しすぎたり、拒絶したり、環境の変化があったりした時には、BPSD(行動・心理症状)が悪化する。そんな時には、認知症の薬がどうこうよりも、周囲が患者さんの心理を理解したほうが、よほどBPSDは治まるということです。

行動理由を考え 視線を転換

—— つまり、健常者に対応するのと同じでいいということになりますか。

新井 そこはとてもいいポイントです。例えば患者が怒っているとしても、認知症薬の副作用でイライラすることもあるし、薬以外にもつらいことがあって眠れないということでも起きます。もちろん物忘れで何度も聞いたり、ずっと捜し物をしたりで、最初は病気と関係がある場合でも、夫が「何回同じことを聞くんだ」と怒ったり、「あるじゃないか、ちゃんとしまっとけ」と言ったりすると、そう言われたら誰でも嫌になる。怒るのは正常な心理。それをすぐ認知症と考えてはまずいです。

—— 患者さん本位という「パーソン・センタード・ケア(PCC)」。最近よくその言葉が紹介されていますけれども、それがなぜいま支持されているのかお聞きしたいのですが。

新井 関口祐加監督が『毎日がアルツハイマー』シリーズの第2作で取り上げていました。ただ、目新しくはなくて、おそらく熟練したケアの人とか精神科医、専門医ならもともとそれぞれの立場でやっていたのを、イギリスの故トム・キットウッド教授が理論的にまとめたものです。基本は、先ほどの飯塚先生が言われたようなことにつながります。

 パーソン・センタード・ケアというのは、なぜその人がそういう行動を取っているのか、理由を考えて、周りの人が理解しましょうといろいろ分析する手法です。例えば徘徊(はいかい)も、家に帰りたいとか、体調が悪くてどこかへ行きたいとか、本人なりの理由がある。そこを考えないで、危険だから車椅子に抑制するとか、短絡的に管理してしまうわけです、そうではなく、患者さんなりの理由を考えて、視線を転換してケアの方法を探していこうということです。

—— ところで、いろいろなサービスを利用できる支援制度というのが大事であり、もっと利用したほうがいいとよく言われますけれども、その辺はいかがですか。

新井 それは絶対使ったほうがいいです。日本ではいろいろな制度があるので、遠慮なく使う。それは患者さんのためでもあるし、一方では在宅療養へシフトということで、家族への負担がどうしても増えがちです。経済的にも心理的にも身体的にも負担がかかるわけで、家族が犠牲を払う体制というのは長持ちしません。社会資源は全部使った方がいい。あと、何か困ったら地域包括支援センターです。中学校の校区単位で全国にあるので、そこがいちばんの駆け込みどころじゃないですか。

地域の支援センターを活用

—— 地域包括支援センターも結構忙しいみたいです。

新井 日本はやはり外国に比べ認知症対策はいいと思います。介護保険もあって。それに何といっても、日本人は真面目だから、地域包括の人たちもよくやっています。

—— 先生は公益財団法人認知症予防財団の会長もされています。財団の社会的意義についてお聞かせ願えますか。

新井 認知症予防財団の活動はとても時代にマッチしています。予防というのは1次予防、2次予防、3次予防があり、1次予防というのは病気を発症させない。2次予防は発症を遅らせる。3次予防は病気になった段階でその進行を遅らせる。この三つが予防に入っているので、予防をキーワードにして各段階でやることはいっぱいあります。認知症になる前の早期の段階から、歩く、食事に気を付ける、人とのコミュニケーションを大事にするなど、認知症に有効とされるものを行うことができる時代になっている。その重要性を広くアピールし、ぜひ普及させていただきたい。毎日新聞は約30年前の1990年に認知症予防財団をつくったわけですから、これは大きな財産です。財団と毎日新聞が連携し、もっともっと啓発活動に取り組まれてはいかがでしょうか。

—— そうですね。いまのところ電話相談がメインになっていて、これも大事なことですけれども、もう少し。たとえばネット相談というのもやりたいと思っていますので。

新井 そうですよね。それをまた毎日新聞の紙面と連動させればいいですね。

当事者の苦悩に寄り添い 正しく伝えて

—— 先生は映画が大変お好きと伺っていますけれども、映画の中で認知症の人が描かれるケースが増えています。いい作品と悪い作品、これはどこが違うのでしょうか。

新井 認知症を伴った人生と当事者の苦悩をきちっと描いているかどうかというところで、それをセンセーショナルに強調して一気に人生が駄目になるような描き方は、どうしてもフィクションの作品に多いですね。若年性アルツハイマー病も20年、25年という経過の中で、実際には患者さんと家族が苦労し、病気と闘いながら、実は彼らの人生のほうが輝いていると思うことがよくあります。悪い映画というのは、2、3年で施設に入ってしまい、仕事をしていた人が急に悪くなる、という作品です。それを見れば「ああ、こんなになるんだ」と思ってしまいます。私はある日本映画の医学監修を断りました。またアメリカの作品も見ましたが、病気の進行があまりにも早く、発想が短絡的でした。

 当事者の苦しみに寄り添い、そこをみんなに伝えることが大事なんです。認知症の人の、たくさんある正常な部分をどう描いていくのか。急にどんどん進んでいくような誤った印象を与えられては困ります。そう考えると、ドキュメンタリーとしてやっぱり関口祐加監督の「毎日がアルツハイマー」がいちばんいいですね。それからフィクションとしては、「ペコロスの母に会いに行く」(森崎東監督)です。母親をよく観察していて、認知症の人がどう考え行動しているのかをちゃんと押さえている。母親の息子に対する愛情とか、人間としての威厳といった正常なところをいっぱい描いているので、その二つは印象的ですね。

2018年1月