認知症の人が期間限定で接客をするイベント「注文をまちがえる料理店」の輪が広がっている。スタッフが注文や配膳を間違えても、客が「まっ、いいか」とおおらかに受け止めれば、認知症になっても安心して暮らせる社会づくりにつながる。そんな思いを込めてプロデュースを手がける小国士朗さん(39)に話を聞いた。
きっかけは2012年、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」の番組作りで、認知症の取材に名古屋のグループホームに行ったことでした。それまで一度も認知症の取材をしたことがなかったこともあって、今思えばとても恥ずかしいのですが、認知症と言えば、ものを忘れ、徘徊し、時に暴力や暴言もある……というネガティブな印象を抱いていました。でも、実際現場に行ってみたら、まったく違う風景が広がっていました。
そこではみんながお料理もするので、取材の合間にご相伴に預かることが多かったんです。その日の献立はハンバーグ。ところが、出てきたのは餃子だったのが衝撃的で。「間違ってますよね」と言おうとしたのですが、誰1人気にせず、おいしそうにパクパク食べています。自分が恥ずかしくなって。間違いというのは、その場にいる人が受け入れてしまえば間違いじゃなくなることに気づかされ、自分では大発見でした。そして「注文をまちがえる料理店」というワードが頭に浮かびました。
おしゃれなレストランにかわいいエプロンのおばあちゃんがいて。ハンバーグを注文したのに餃子がでてきて、「ちゃいますがな」と言って一緒に笑う−−。そんな映像も浮かび、「これはすごく作りたい」と思いました。認知症については、ネガティブな要素だけを見聞きした「知ったかぶり」の人も多いですが、かつての私のような、そういう人が気軽に来て認知症の人に出会える場所を作りたい、と考えたのです。
NHKディレクターだった小国さんは2012年、「認知症になっても、最期まで自分らしく生きていく姿を支える」ことを信条とする、和田行男氏が統括マネージャーのグループホームで「認知症とハッピーな出会い」をする。注文をまちがえる料理店をやりたい、ワクワクする気持ちを胸に16年11月から仲間を募った。和田さんや編集者、デザイン、クラウドファンディング(ネット上での寄付金集め)の専門家らが賛同し、実行委員会として動き始めた。
■間違えることを目的としない
最初のイメージは「おしゃれなレストラン」くらいでした。でも、動きだしてからは違いました。注文を間違えるかもしれないのに、料理がおいしくなかったら許されない気がして。妥協があったら「認知症の人がやっているのだから」という善意の押しつけになります。間違いを許せるクォリティーを担保しよう、福祉のプロジェクトではなく料理店だ、と。オリジナル料理の試作を重ね、内装にもこだわりました。
怖かったです。もし、お客さんが押し黙ったら。おじいちゃん、おばあちゃんが右往左往して悲しそうだったらどうしよう。「認知症の人を見世物にして」という反応も想定されました。開店前は吐き気がし、現場に行きたくないくらい不安でした。ただ、和田さんのグループホームで見た原風景があって、心動かされたのは本当。あの原風景を街の中に置きたいと心から思っていたので、乗り越えられた気がしています。
福祉のプロジェクトじゃない、みんなが行ってみたいと思う店となると、お客さんを楽しませたくなってきます。だから本当に悩みました。お客さんの期待が「注文を間違う」ことに集中するなら、「間違える可能性」を設計しておいた方がいいのではないか、と。しかし、最後はわざと間違えるように誘導するのは本末転倒、とみんなの意見が直前に一致し、「間違えることを目的としない」のをルールとしました。だんだん間違う率は低くなってきているのですが、そこはぶれていません。
小国さんたちはオープン直前まで、認知症のスタッフが間違うような仕掛けをするか否かで揺れていた。しかし、夫が若年性認知症の妻を支える音楽家夫妻が打ち合わせに参加したのを機に変わった。「妻にとって、間違えるのは辛いことなんです」。そんな夫の一言でみなが目覚め、メニューを3種類に絞るなど、なるべく間違いにくいようにした。
17年6月、実行委は2日間限定で東京都内のレストランを借り、認知症の人6人が接客をする料理店をオープン。これが大反響を呼び、海外メディアも次々取り上げた。趣旨に賛同する人も増え、これまでに北海道から宮崎まで、約20カ所で同様の店が臨時開業した。海外でも、韓国、中国、英国に広まった。
■「コスト」を価値に変え、世界に発信できれば
僕が福祉のプロでも、料理のプロでもないからこそ、各業界から見れば、思い切った企画をやり抜けたというのはあるのかもしれません。各分野の超一流のプロフェッショナルたちが集まったからこそ、きちんと着地できたと思っています。「この指とまれ」という感覚を大切にし、みんなが止まりたくなる指を作ることにこだわりました。
テレビは好きですが、「プロフェッショナル」を最も見てくれているのは60代独居男性というデータがあり、愕然としました。もっと若い年齢層にも届けたい、と考えNHKを辞めました。本を書いたのも、イベントを開くのも、ソーシャルメディアをするのも、届けたいからなんです。
よく、「訴えたいメーセージは」と問われます。でも、正直に言うとありません。注文をまちがえる料理店では、「寛容な社会を広げる」と言われ、私も80%くらいはそういう思いですが、後付けのようなところもあります。私としては、ハンバーグのはずなのに餃子が出てきて笑いあう、あのおおらかな風景を届けたいだけ。米国のメディアの取材で、「料理店のイベントはトランプ政権へのアンチテーゼか」と問われました。寛容性を認めないトランプへの批判と受け取ったというわけです。そんなこと1ミリも思っていませんでしたが、そう思うのは勝手。メッセージを押しつけるよりは、風景に触れた人がどう解釈するかの方が大事だと考えています。
直近では、3月4、5日、厚生労働省内のレストランで「注文をまちがえる料理店」を開いた。ここでは例外的に「メッセージ」を発信した。65〜91歳の認知症の人7人と雇用契約を結び、従来の謝金ではなく、労働の対価として賃金を払った。希望する人はみんな働けるように、との思いだ。
7人はどのテーブルに運ぶのかを何度も確認し、「おいしいですか」と満面の笑みで客の厚労省職員をもてなした。おばあちゃんの一人は根本匠厚労相と交互にマッサージをし合うなどし、周囲にも優しい笑顔が広がった。
内容は未定ですが、2020年、東京五輪・パラリンピックの期間に絶対料理店をやると決めています。外国の店も加わって、30店舗くらいの「注文をまちがえるレストラン街」ができたらおもしろいですね。物を忘れ、間違えることはコストと捉えられてきましたが、お客さんの笑顔をみていると、コストが価値にひっくり返る可能性を考えるようになりました。日本流のぬくもり、「こたつ感」?ですかね、コストを価値に変える日本の姿、クールジャパンならぬ「ウォームジャパン」を世界に発信できればいいですね。
小国士朗(おぐに・しろう)
1979年生まれ、香川県出身。03年にNHKに入局し、ディレクターとして「クローズアップ現代」「プロフェッショナル 仕事の流儀」などを担当した。デジタル企画などを受け持った後、18年7月に退局して個人事務所を設立。フリーのプロデューサーとして各種イベントを手がけている。
2019年5月