2008年バングラデシュ再訪
バングラデシュ東部の母子寮。少年は日本から贈られた鉛筆を大事そうに手に挟み、お辞儀した――。1979年に「鉛筆の少年」で始まった毎日新聞と毎日新聞社会事業団の「世界子ども救援キャンペーン」(旧「飢餓・貧困・難民救済キャンペーン」)は、今年30年目を迎えた。取材班は11月、その第1回取材地・バングラデシュを再訪。少年は立派な成人になり、貿易会社に就職、幸せな家庭を築いていた。だが母子寮自体は存続の危機にひんしていた。この国の子どもたちがどうしたら貧困を越えていけるのか、改めて問題提起したい。
「鉛筆の少年」の名前は、ルーパヨン・ボルワさん(39)。キャンペーン第1回の取材班が訪れた79年当時、ルーパヨンさんはまだ9歳で、同国東部の農村にある「マハムニ母子寮」で暮らし始めてから2年目だった。「たくさん写真を撮ってもらい、うれしかった」と振り返る。その中の1枚が掲載された本紙記事は大きな反響を呼び、全国各地から資金や文房具などが寄せられた。キャンペーンはその後も世界各地で続き、寄付金はこれまでに総額約15億円に上っている。
ルーパヨンさんはインド・コルカタ生まれ。母子寮を経て、専門学校を卒業。現在はバングラデシュ第2の都市・チッタゴン市内にある車部品貿易会社に勤めている。「私がここまで来られたのは、母子寮と日本からの支援のおかげです」と感謝の言葉を繰り返した。
2008年11月上旬、ルーパヨンさんは母子寮を訪れ、後輩たちにこう語りかけた。「皆さんは今、毎日きちんと学校に行ける環境にあります。支えてくれている人々への感謝を忘れず、一生懸命勉強してください」
「1本の鉛筆」から人生を切り開いた先輩を、寮生たちがあこがれのまなざしで見つめていた。【文・福田隆、写真・森田剛史】