2009年コンゴ民主共和国 闇に差す光 略奪の大地で (5)

教会のミサで賛美歌を歌うフランシーヌ・シファさん=コンゴ民主共和国東部ゴマのムグンガ3避難民キャンプで2009年6月7日、森田剛史撮影
「家に帰りたい。希望がかなった時、喜びがあふれるだろう」。コンゴ民主共和国北キブ州ゴマのムグンガ3避難民キャンプ。日曜の朝、丸太とビニールで仕切っただけの教会に少女の歌声が響いた。
教会には、赤ちゃんを抱いて目頭を押さえる女性や胸の前で両手を合わせる高齢女性ら避難民約50人がいた。その前で交代で歌うフランシーヌ・シファさん(14)とサラ・キザニエさん(14)は、94年生まれ。隣国ルワンダで民族抗争が大虐殺に発展し、その後のコンゴ民主共和国を中心にした地域紛争のきっかけになった年だ。
シファさんは2歳の時、父を何者かに殺され、病気の母は5歳の時に他界。キザニエさんも5歳で両親を病気で失った。2人は昨年12月、武装勢力の襲撃を受け、残った肉親とキャンプ生活を送る。教会でのミサの後、「歌っている時は、嫌な現実を忘れられるの」と話した。
私たちは国連やNGOの施設でも同様に戦禍に追われた多くの子どもたちに会った。しかし、彼らは夢を失ってはいなかった。
キンテンガ金鉱
国連コンゴ監視団(MONUC)が元兵士を一時的に保護するゴマの移送施設。ハキザ・エリックさん(17)は「無理やり兵士にさせられた体験を基に、先生になって平和について教えたい」。レイプ被害者となったネーマ・バガルワさん(15)は、南キブ州カロンゲのNGO「GRAM」の施設で「洋服をつくる仕事に就きたいの」と、手元のミシンを動かしていた。
40日間の取材を終え、コンゴ民主共和国を離れる前日、1カ月ぶりに教会で会った2人の少女を訪ねた。シファさんは「親類が私の家の修復を始めた。10月に戻ることを決めたの」と声を弾ませた。キザニエさんも「村の治安がよくなっていると聞き、帰る日を祖父と相談している」と小さくほほ笑んだ。
同国では現在も160万人が戦禍で家を追われている。出口の見えない地域紛争という闇を思うとき、少女たちの歌が聞こえてくる。【田中龍士】