2013年ブルキナファソ報告【特集】
マリ北部紛争とは
キャンプ内の病院の待合室でぐったりとする男の子
マリは23民族が住む多民族国家で、南部に暮らすバンバラ族ら黒人が多数派を占める。北部に多いトゥアレグ族の一部は1970年代の大干ばつでリビアに逃れ、当時政権を握っていたカダフィ大佐に雇い兵として重用された。それから40年あまり。リビアに飛び火した中東の民主化要求運動「アラブの春」が、マリ北部紛争に結びついた。
2011年8月にカダフィ政権が崩壊すると、雇い兵らは大量の武器を持ってマリへ帰還。黒人主導の政府が北部の開発を怠っているとして、反政府武装組織「アザワド解放民族運動」(MNLA)を結成し、12年1月に武装蜂起した。
MNLAは同じトゥアレグ族組織のイスラム過激派「アンサル・ディーン」の支援を受けて北部を制圧し、同4月には「独立」を宣言。13年1月に軍事介入したフランス軍などにより、北部の主要都市はほぼ奪還されたが、武装解除を拒んでいる。
紛争に伴い、マリ周辺国のモーリタニア(約7万4000人)▽ブルキナファソ(約5万人)▽ニジェール(同)――に難民が流入(13年5月現在)。故郷を追われたマリの国内避難民も30万人を超えた。マリではトゥアレグ族への報復事件やイスラム過激派によるとみられる自爆テロが相次ぎ、難民たちの多くは帰郷できずにいる。
マリ北部紛争を巡る主な出来事
1970年代 | |
大干ばつでリビアに逃れたトゥアレグ族の一部が、カダフィ大佐の雇い兵に | |
2011年 | |
2月 | リビアで反カダフィ争乱。北大西洋条約機構(NATO)がリビアを空爆 |
8月 | カダフィ政権崩壊。大量の武器を持った雇い兵がリビアから周辺国へ流入 |
10月 | マリに帰還した元雇い兵のトゥアレグ族らが、反政府武装組織「アザワド解放民族運動」(MNLA)を結成 |
2012年 | |
1月 | MNLAがマリ北部にある複数の都市で政府軍への攻撃を開始 |
3月 | MNLAとの戦闘でマリ政府の対応に不満を抱く政府軍兵士が蜂起し、首都バマコを掌握。翌月、民政移管に合意 |
4月 | イスラム過激派組織「アンサル・ディーン」の側面支援を受けたMNLAがマリ北部の全域を制圧。アンサル・ディーンは一部都市でシャリア(イスラム法)による統治を始める MNLAがマリ北部で「独立」を宣言し、「アザワド」を名乗る |
6月 | アンサル・ディーンがマリ北部トンブクトゥにある世界遺産の聖廟(せいびょう)を破壊 |
12月 | 国連安保理が、マリの周辺国でつくる「西アフリカ諸国経済共同体」(ECOWAS)に対して軍事介入を承認 |
2013年 | |
1月 | マリ政府の要請でフランス軍が軍事介入。地上、航空部隊を展開 ECOWASがマリに部隊の即時派遣を決定 アルジェリア南部でイスラム武装勢力が外国人を拘束。日本人10人を含む多数が死亡。「マリに軍事介入したフランスに報復する」と犯行声明 |
2月 | フランス軍がマリ北部の主要都市をほぼ制圧し、オランド大統領がバマコ訪問。「我々の目的はここにとどまることではない」と長期化を懸念 マリ北部で自爆テロ相次ぐ |
4月 | フランス軍がマリ撤退を開始 国連安保理が平和維持活動(PKO)のマリ派遣部隊創設を承認 |