記者

一般記者

鳥井 真平

科学環境部

2007年入社

2007年入社 前橋支局に配属。警察、裁判、スポーツを中心に取材
2008年県警キャップ。死者10人が出た老人施設「静養ホームたまゆら」火災の取材(09年)や、日航ジャンボ機墜落事故から24年の関連取材(09年)など
2010年県庁キャップ。参院選や群馬県知事選、八ッ場ダム問題などを取材
2011年東日本大震災。東京電力福島第1原発事故による群馬県内の計画停電や避難者の取材
2012年東京の科学環境部に異動。地震や天文・宇宙分野を担当。ロシア、カザフスタンで国際宇宙ステーションに滞在した星出彰彦宇宙飛行士の地球帰還を取材
2013年原発担当。福島第1原発の汚染水問題や廃炉作業、原発の再稼働に向けた原子力規制委員会の安全審査などを中心に取材
2016年大阪の科学環境部に異動。引き続き原子力を担当。高速増殖原型炉「もんじゅ」などを取材

原発の安全性を問い続ける

2015年8月19日
記者の目「九電・川内原発再稼働」

 科学環境部では、大学の研究や環境問題、医学など理系の幅広いテーマを担当します。私は原発に関する取材を担当しています。

 「原発の安全性は保たれているのか」。私の仕事のテーマはこれに尽きます。2011年3月に東京電力福島第1原発事故が起き、原発の安全性への疑問は消え去っていません。施設が地震や津波に耐えられるのか、老朽化した機器は安全なのか、事故時に周辺住民は避難できるのか。原子力規制委員会の安全審査や、電力会社や大学の専門家などへの取材を通して、こうした疑問を考えるきっかけになる記事を書き続けています。

 原発の取材をする上で、忘れられない言葉があります。「助けてください。どうか良い記事を書いてください」。2011年5月、福島県内の避難所で出会った年配の女性が私の手を握りながら涙声で語ってくれました。事故で大量の放射性物質が飛散し、住み慣れた自宅を離れなければならないことに対する絶望感を感じました。同じ思いをした住民は大勢います。群馬県で経験した計画停電も異常事態を象徴する出来事として忘れることができません。

 原発の取材を続けていると、電力会社の姿勢に疑問を抱く本音に何度も遭遇します。ある電力会社の社員は「東京電力が起こした事故なのに、なぜ、別会社の私たちまで苦しむのか」と漏らしました。規制委に運転管理能力のなさを指摘された高速増殖原型炉「もんじゅ」の取材では、関係者が「我々は運が悪かっただけだ」と開き直ることもありました。原発の安全に対する意識改革はまだ発展途上にあります。同じことを繰り返さないためにも、危険性や疑問点を指摘し続けることに意義があると考えています。

One day

10:00
大学で研究者の取材
12:00
次の取材予定を確認しながら昼食
14:00
原子力の専門家にインタビュー
16:00
社に戻り、取材メモの作成や原稿の執筆
18:00
翌日の取材予定の確認
20:00
取材相手と意見交換を兼ねて夕食。その後紙面のチェック

Q&A

学生時代に打ち込んだことは?
アルバイト。大学の研究室で河川の研究をしていました。
仕事をする上で大事にしていること・ものは?
原稿を書く時、難しい専門用語はなるべく使わず、分かりやすい言葉に置き換えることを心がけています。分からないことは取材先でとことん聞くことも大事にしています。
入社して意外だったことは?
意欲があれば好きな取材テーマに取り組めること。科学環境部には文系出身の記者も多いことが意外でした。
現在の仕事内容や取り組む姿勢を一言で表現すると?
原発事故の教訓を生かす記事を書くことに尽きます。