母の日・父の日募金

2018年度「母の日・父の日募金キャンペーン」

 2018年度の毎日新聞「母の日・父の日募金キャンペーン」特集は5月9日付と6月14日付の朝刊で掲載されました。再録して紹介します。

「母と離れ仕事が居場所に」

 親への感謝の気持ちを、困難な状況でも懸命に生きる子供たちへの支援に変える毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」が今年も始まった。13日の母の日を前に、幼い頃に父母が離婚し、児童養護施設で育った横浜市の会社員、中島希望(のぞみ)さん(26)の母への思いを伝える。

「母と一緒によく利用していた」と京浜急行上大岡駅を懐かしむ中島希望さん=横浜市港南区で

 <体調崩し生活保護>

 中島さんは最近、再会した知人に「表情が豊かになったね」と言われた。幼い頃から人と話すことが苦手だった。でも、社会に出て相手の目を見て会話できるようになった。何よりも今、「働く幸せ」を感じている。病気で働きたくても働けず、逆境の中で別居を選択するしかなかった母の気持ちも何となくわかる気がする。

 小学2年の時に両親が離婚し、父親との思い出はほとんどない。ただ、野球が好きだったことは覚えている。離婚の原因を母から聞いたことはなく、父とはそれきり会っていない。離婚後、母と4歳下の弟と3人で横浜市内で暮らし始めたが、心のバランスを崩した母はほぼ寝たきりの状態になった。気分の浮き沈みが激しく、イライラして当たり散らすこともあった。働ける状態ではなく、生活保護を受けざるを得なかった。「母が一番つらかったと思う。何もしてあげられないのが歯がゆかった」と中島さんは振り返る。

 豊かとは言えない暮らしの中で、突然思い立ったような母の勧めで始めた野球は、良い気分転換になった。知らないうちにグラブも買ってくれ、母の体調が良い時は弟と3人でキャッチボールすることもあった。白球を捕っては投げる単純な動きの繰り返しだったが、母との暮らしの貴重な思い出になっている。

 「お母さん、面倒を見てあげられないからこれから二人は施設で暮らすの。協力して仲良くね」。2003年7月、中島さんが小学6年の時に、母から横浜市の児童養護施設に入所することを伝えられた。いつだって母は唐突だ。だが、体調が悪くなるばかりで子育てに不安があったのだろうと今は想像できる。

 「離れたくない」と泣きじゃくる弟を連れて、必要最低限の荷物を持ち出し、施設の門の前で母に手を振った。悲しみと安心が入り交じったような母の表情を鮮明に覚えている。「一緒に暮らしたいよ」。弟の手を握り、中島さんはその一言をのみ込んだ。

 <なじめず短期退社>

 児童養護施設では公立中学と私立高校に通い、18歳で高校を卒業するまでの約6年間を過ごした。退所前に進路選択の時期が訪れたが、就職以外の選択肢はないに等しかった。施設で生活してきた者にとって、就職先の選択は退所後の生活を左右する切実なものだ。だが実際、高校で仲介してもらえる企業は限られていた。「さあ、この中から選びなさい」といった具合で求人票を束ねたファイルの中から選ぶしかなかった。

 特に働きたいという企業もなかったので、給料が高い建設会社を選んで入社した。現場で早朝から力仕事に精を出す日々、次第に意欲はなくなり、約5カ月で退職。「現場にもなじめなかった。相談できる大人が周りにいないし、働くことのイメージを持たないまま決めてしまった」と振り返る。

 <人と接し自信つく>

 その後、生計を立てるためにカラオケ店の深夜営業のアルバイトを始め、気がつけば2年が経過。その間に成長産業のIT系の企業に正社員として再就職し、キャリアを積みたい願望が芽生えた。しかし、企業の探し方も、就職する方法もわからなかった。そんな折、児童養護施設退所者の就職支援に取り組む横浜市のベンチャー企業・フェアスタートの仲介で、現在勤務する東京都内のIT企業に入社できた。

 「自分がやりたかった仕事だから、今は大変だけど辞めようとは思わない。ここで大変だからといって逃げたらどこに行っても通用しないと思う」。中島さんは今、初めて仕事と向き合っている実感がある。仕事を通して多くの人と接する機会が増え、自信もついてきた。

 両親と暮らす普通の家庭に憧れることもあったが、社会人になった今、母が施設に子供を預けたのは自分や弟のことを考えたうえでの決断だったと思う。「いつも学校や施設、職場でいろいろな人が助けてくれた。何よりも母が産んでくれたお陰で今の自分がある。感謝してもしきれない」と今の率直な思いを語る。

 13日の母の日に合わせて、中島さんは入院中の母親に生まれて初めてカーネーションの花をプレゼントするつもりだ。「気恥ずかしいけれど、一度くらい直接感謝の思いを伝えておきたい。色は赤やピンクがいいかな」。病床の母が喜ぶ姿を想像する中島さんの瞳は今、希望に満ちている。【梅田啓祐、写真も】


「夢追う機会、あきらめないで」

埼玉県内で1人暮らしを始めて3年目。空手部の活動や飲食店のアルバイトにも励む西村海飛さん=埼玉県宮代町で

 親への感謝の気持ちを、困難な状況で生きる子供たちの支援につなげる毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」。今回は、5歳の時に父を亡くし、自身と似た境遇の子供たちを支援するため、「あしなが学生募金」の活動に取り組む日本工業大3年の西村海飛(かいと)さん(20)を紹介する。

 <5歳の時、父他界>

 亡き父は、「海飛」という名前に「大海のような広い心で、世の中に羽ばたいていけるように」と思いを込めた。西村さんは「あしなが育英会」の支援を受けた奨学生らで組織する「あしなが学生募金事務局」の一員だ。「親を亡くした子供たちに進学や夢を追う機会をあきらめないでほしい」との思いで、街頭募金活動を支えている。

 西村さんは静岡県富士宮市で3人兄弟の末っ子として生まれた。父は、ゴルフ場のレストランのコックだったが、仕事中に突然倒れ、西村さんが5歳の時に他界。「まだ幼かったので『死』の意味がよくわからなかった。ただ、兄や母が号泣しているのを見て涙があふれた」と、振り返る。

 父の記憶は断片的に残っている程度。仕事熱心で、家でのんびりしていたような印象はない。漠然と覚えているのは職場のレストランで家族に作ってくれる特製ハンバーグのおいしさ。幼心に父が誇らしかった。今はもう二度と食べることができないハンバーグは、家族だんらんの思い出の一品だ。

 <3兄弟育てた母>

 父の死後、それまで専業主婦だった母は働き始め、女手一つで3兄弟を育てた。西村さんはボーイスカウト活動や空手、バスケットボールなどの習い事に精を出し、のびのびと成長。時折、習い事を休もうとする西村さんに、母は「中途半端はよくないでしょう。何でもやり通すことが大事よ」と背中を押してくれた。一家の大黒柱の父が急にいなくなった寂しさをできる限り子供たちに感じさせまい、と優しくも厳しく振る舞っていた。西村さんは「3人兄弟を育てるのは大変だったと思う。感謝しています」と郷里の母への思いを打ち明けた。

 あしなが育英会の奨学金を受け始めたのは高校1年の時だ。「家計面で少しでも母には楽になってもらいたい」という一念だった。その後、奨学金のお陰で、無事に日本工業大工学部に進学。今は幼少期から関心があった建築学を埼玉県宮代町のキャンパスで学んでいる。

 「親を亡くした日本やアフリカの子供たちにチャンスをください」。5月5日、小田急電鉄新百合ケ丘駅(川崎市)の前で、西村さんは通行人に呼びかけた。病気や災害で親を亡くした子供たちの奨学金を募るあしなが学生募金の活動だ。毎年、春と秋の2回、全国で実施している。西村さんは東京、埼玉、神奈川など首都圏エリアを管轄する事務局次長補佐という立場で運営に携わっている。4月21、22、28、29日と5月5日の計5日間で集まった額は全国で1億1000万円。首都圏エリアでは、そのうち約4000万円の寄付金が集まった。

 <感謝込め頭下げる>

 「あしながと、ここまで長く密接に関わるとは思っていなかった」と話す西村さん。募金活動に取り組むようになったのは、高校1年の夏にあしながのキャンプに参加したことがきっかけだ。静岡県御殿場市で過ごした4日間で、親を亡くした奨学生同士が「自分史」を紹介する機会があった。恥ずかしかったが、他の奨学生が涙ながらに語る肉親の死や少年時代の思い出に耳を傾けるうちにためらいはなくなった。さらに、幼くして両親を失った人、進学を希望していても家計が苦しくあきらめざるを得ない人がいることも知った。「自分よりも大変で苦しい経験をした人がいたんだ」と、気づきを得ると同時に「今、つらい思いをしている子供を一人でも多く助けたい」と感じた。

 あしなが学生募金は、奨学生や高校生ボランティアが活動を支え、今年で49年目。雑踏で街頭募金をしていると、人情や思いやりを感じることが多い。「頑張ってね」と激励してくれる高齢の女性や、お金を募金箱に入れて何も言わずニコッと笑顔で立ち去る男性など、十人十色だ。いつも感謝を込めて頭を下げている。

 あしなが育英会の職員で、首都圏エリアの学生支援を担当する瑞慶山(ずけやま)貴大さん(26)は、西村さんについて「いつも物腰柔らかで一生懸命。真剣に取り組む姿に元気をもらってます」と信頼を寄せる。「本人は長所を自覚していなくて、良い意味で鈍感。癒やされます」とも。

 これまで西村さんが、両親のいる家庭をうらやましく思ったことは多々ある。「もしあの時、父がいたら……」と考えたことも数知れない。でも、今はあしながの活動や仲間と出会えたのは、天国の父がつないでくれた縁と思って、自身の境遇と向き合っている。建築の道を志す一方、奨学金として自分が受けたバトンを次世代に引き渡すため、これからもあしながの“主翼”として募金活動を支えるつもりだ。【梅田啓祐、写真も】

2017年度「母の日・父の日募金キャンペーン」389万3549円を贈呈

 2017年度の毎日新聞「母の日・父の日募金キャンペーン」には8月末までに181件389万3549円が寄せられました。毎日新聞社と毎日新聞東京・大阪・西部社会事業団は、遺児の進学を支援する「あしなが育英会」に半額を、残りを以下の団体に届けました。

 NPO法人「交通遺児等を支援する会」「日向ぼっこ」「学生支援ハウスようこそ」「子どもセンターぬっく」「青少年の自立を支える福岡の会」▽社会福祉法人「カリヨン子どもセンター」▽アフターケア相談所「ゆずりは」▽CVV(社会的養護の当事者支援団体)=順不同。

 皆様からのご協力、ありがとうございました。

2016年度「母の日・父の日募金キャンペーン」194万円を贈呈

 毎日新聞「母の日・父の日募金キャンペーン」に対し、2016年度も8月末までで東京・大阪・西部の3社会事業団に113件194万6892円が寄せられました。(うち東京には55件99万3992円)

 遺児の進学を支援する「あしなが育英会」に半額を、残り半額を以下の児童養護団体に贈呈しました。

 NPO法人「交通遺児等を支援する会」「日向ぼっこ」「ブリッジフォースマイル」「青少年の自立を支える福岡の会」▽社会福祉法人「カリヨン子どもセンター」▽CVV(社会的養護の当事者支援団体)=順不同。

 皆様のご協力に感謝いたします。

母の日・父の日募金キャンペーン

 2005年の初夏、毎日新聞の生活家庭面に「贈り物をしたくても母がもういない」「母の日にカーネーションを見るのがつらい」など、親を亡くして悲しむ読者からの投稿が寄せられました。これを機に、母の日・父の日をあらためて家族を思うきっかけとして、親への感謝の気持ちを、困難な状況で生きる子どもたちへの支援に替えて贈ろうという募金キャンペーンがスタートしました。

親から虐待を受けた子どもたちを援助する団体


カリヨン子どもセンターの坪井節子理事長

国内第1号の子どもシェルター
カリヨンこどもセンター

 社会福祉法人「カリヨン子どもセンター」(東京)は自立援助ホームを運営しているだけではありません。虐待された子どもを一時保護する「子どもシェルター」も開設しています。「今すぐ逃げ出したい」「今夜、帰る所がない」。居場所を失った子どもたちを一時保護します。

児童相談所にも一時保護施設はありますが、満杯です。その隙間を埋めるように、民間の子どもシェルターが全国に数カ所できています。その第1号が04年に開設した「カリヨン子どもの家」です。13年春までに、約240人を受け入れてきました。


女子用の自立援助ホーム「カリヨン夕焼け荘」の居室

滞在期間は決められていませんが、平均2か月程度です。その間、食事と個室を提供します。社会福祉士などの資格を持つ職員と一緒に、散歩、買い物、料理、遊びと、家庭的な暮らしを心がけます。

弁護士でもある坪井節子理事長によると、大方は2カ月ぐらいで社会とつながりを持ちたくなるそうです。仕事を見つけたところで自立援助ホームにつなげます。