母の日・父の日募金キャンペーン

何でも挑戦させてくれた母に感謝

 毎日新聞は、困難な状況で生きる子どもを支援する「母の日・父の日募金キャンペーン」を実施しています。2023年、朝刊に掲載された記事を紹介します。

●夢へ駆ける大隅さん

 6歳の時に父を病気で失うも、夢に向けて走り続ける慶応大3年の大隅有紗(ありさ)さん(20)に話を聞いた。

父靖さんは絵が上手で、とても優しい性格だった。怒られた記憶はない。一緒に近所を散歩して「二人だけ」の裏道を見つけることが好きだった。大隅さんが幼稚園の時に脳腫瘍を患って入院した。

 病院に駆け付けると「すぐに治るから、大丈夫だよ」とほほえみながら応じてくれた。これが最後の会話となった。容体の悪化で寝たきりとなり、49歳で亡くなった。

「お父さんは、もういないんだ」。深い喪失感とともに、病室や葬式の光景は今でも脳裏に深く刻まれている。

 保険会社でパート勤めの母千鶴さんが必死で育ててくれたが、寂しさはずっと消えなかった。父から1歳の誕生日にもらったぬいぐるみを抱きしめては、泣いた。小学校の運動会は、家族そろって参加する友達が羨ましかった。

 中学生になると、周囲の友人との家庭環境の違いにコンプレックスを感じるようになった。お小遣いの額が少なく、塾に行けなかった。

 高校に入学して、奨学金を受けるあしなが育英会主催の「奨学生のつどい」に参加した。同じ境遇の人との交流で、アルバイトで生活費を稼ぎ、大学進学がままならない生徒がいることを知った。経済格差が教育格差につながっている現実に直面し、悲しくなった。

 父を病気で失ったからこそ、同じ境遇の人を救いたいと、医師を志した。でも、理系科目が苦手で夢をかなえることは「現実的に難しい」と感じ始めていた時だった。

 「高卒か大卒かで、年収が大きく変わってしまう。勉強でしか、負の連鎖を抜け出せない。それなら、自分にできることは何だろう。そう考えるようになりました」

 大学で教育学を学び、教育格差のない社会を作りたい。新たな夢を見つけた大隅さんは、総合型選抜試験を突破して慶応大に入学した。文学部で教育学を専攻し、一人親家庭の子どもに勉強を教えるボランティアもしている。「お金がないから勉強ができない子どもが少しでも減ってほしい」との思いからだ。

 4月、後輩遺児への奨学金を募るため、新宿駅前での募金活動でマイクを握った。「奨学金があれば、私のように大学に行ける人が増えます。奨学金は、将来に希望を持つきっかけになります」

●「大丈夫」は魔法

 母に一番伝えたいのは感謝の気持ちだという。「家計は楽ではないはずなのに、やりたいことは何でもチャレンジさせてくれて、自由に育ててくれました」

 父の葬式以来、母が泣いている姿を見たことはない。「強い人だな」と心から尊敬している。今は彼氏の愚痴でも、何でも相談できる友人のような関係だ。「お母さんが言ってくれる『大丈夫』は魔法みたい。本当に大丈夫な気になってくる」

 いつか、母にマンションをプレゼントしたい。中高校生向けのIT・プログラミング教育サービスの企業でのインターンなど、経験を積み重ねている。さらにこうも思っている。 「将来は自分もあしながさんになって、遺児の役に立ちたい」【大沢瑞季】

(2023.5.13 毎日新聞)

あしなが育英会の全国一斉街頭募金で協力を呼びかける大隅有紗さん=東京都新宿区で、内藤絵美撮影

父に感謝を伝えたかった

 神奈川工科大3年の伊藤駿斗さん(22)は「一緒にお酒を飲みたかった」と亡き父への思いを語る。

 伊藤さんは盛岡市で生まれ育った。小学校の入学前、母の信江さんが皮膚がんを患って入院。同市内の祖父母宅で暮らしながら、父の俊也さんと見舞いに行った。病院からの帰り道、連れて行ってくれたゲームセンターでカーレースをしたことをよく覚えている。

 闘病の末、母は39歳で死去。葬式で何かに耐えるように、じっと動かなかった父の姿が印象に残っている。

 祖父母が親代わりとなり、自分と5歳下の弟を育ててくれた。地元企業の工場で、管理職として働いていた父は朝早くに家を出て、夜遅くに帰宅する日々。それでも土日は、車で映画館や旅行などに連れて行ってくれた。

 専門雑誌を読むほど車好きだった父の影響を受けた伊藤さん。高校3年生になり、「将来は自動車に関連する仕事に就くのもいいかな」と考え始めていたところ、父が会社で倒れた。

 祖母から「今、手術しているから」と告げられ、目の前が真っ暗になった。以前、くも膜下出血を起こしたことがあった父は、動脈が破裂。目覚めることなく、数週間後に50歳で亡くなった。

●かなわなかった夢

 「行ってきます」と言って出社する父に、「はーい」と返すいつもの朝のやり取り。父子の最後の会話となった。

 葬式では、知らなかった仕事場での父の姿を知った。

 成績不振に陥った職場の改革を主導してくれた、プレゼンが得意で周囲から頼りにされていた……。上司は仕事ぶりを褒め、突然の死を悼んでくれた。

 伊藤さんは、祖父と父がお酒を酌み交わす光景をよく目にし、「いつか一緒に交ざりたいと思っていました」。今は父と一緒にお酒を飲みたかった、と強く思う。「将来のこと、勉強のこと、もっと相談したかった」

●一番尊敬する人

 あしなが育英会の奨学金で大学へ進学し、自動車のシステム開発について学んでいる。新型コロナウイルス禍でオンライン授業が増えて、思う存分、実習や実験に取り組めずにやる気が薄れることがあった。

 そんな時、父は何と言うか。アドバイスは「好きにやってみなさい」ではないだろうか。父は責任感が強く、リーダーシップを発揮していた。自分はその血を継いでいる。だから何とかできる。そう自分を励ます。

 「親を亡くした遺児の置かれた状況をよく知ってもらうことが、より多くの支援につながると思っています」

 自分と同じような境遇の子どもたちに、機会を与えてほしいと願い、あしなが育英会の募金活動で街頭に立つ。遺児と遊びながら心をケアする活動にも取り組む。

 父の日が近づくと、感謝の気持ちを伝えられなかったことへの後悔が込み上げる。

 「自分が『やりたい』と言ったことを、全て受け入れてくれました。自由に育ててくれました。本当に感謝しています。父はずっと、自分にとって一番尊敬する人です」【大沢瑞季】

(2023.6.17 毎日新聞)