母の日・父の日募金キャンペーン

2021年度「母の日・父の日募金キャンペーン」

 2021年度の毎日新聞「母の日・父の日募金キャンペーン」特集が5月8日付、6月19日付の朝刊に掲載されました。再録して紹介します。

「フルートに導いてくれた父へ」(6/19)

父厚哉さんが用意していた貯金で購入したフルートを手にする尾藤あづみさん=東京都日野市で

 あす20日は「父の日」。毎日新聞は今年も、両親への感謝の気持ちを困難な状況で頑張る子どもたちに託す「母の日・父の日募金キャンペーン」を展開している。小学校5年生の時に父親をがんで亡くした大学1年生、尾藤あづみさん(20)が目指すのは、プロのフルート奏者。クラシックの世界に導いてくれた父に、感謝の音色を届ける。

 〈笑いあった思い出〉

 少し日焼けをしていて眼鏡をかけて静かにほほ笑んでいる。尾藤さんは、そんな父厚哉さんの姿をよく覚えている。一人っ子の自分と家の中でかくれんぼをしたり、相撲をしたり。冗談を言っておどけ、家庭を笑顔で満たしてくれた。

 厚哉さんに大腸がんが判明したのは、尾藤さんが6歳のときだった。入院して手術を受けたため、病気なのは何となく理解できたものの、どれほど深刻かは知らなかった。母美幸さん(49)は厚哉さん本人にも隠したが、病院から「あと半年、生きられるかどうか」と告げられていた。医師に勧められ、親子3人で6泊7日の旅行をした。もともとバイクの一人旅が好きだった厚哉さんたっての希望で、自宅のある長野県から北海道へ。ヒマワリ畑で自転車を借り、厚哉さんと2人で走り回った。

 帰ってから厚哉さんの病状は持ち直し、体調が良ければ家族で旅行やドライブに出かけた。父が運転し、母が助手席で地図を広げて案内する。そんな姿を後ろから見つめながら、尾藤さんが学校であったことやテレビで見たことなど、たわいもない話をする。どこにでもありそうな空間だが、とても幸せだった。

 しかし尾藤さんが小学5年生になり、厚哉さんの容体は悪化。座って休んだり、眠る時間が増えていき、5月に39歳で息を引き取った。

 尾藤さんは父の不在を考えないようにした。亡くなったことを受け入れるのが難しく、心にふたをした。大学に進むため浪人生活を送っていた昨年、1人で過ごす時間が増える中で、父の死に正面から向き合うと決め、思い出を振り返った。「本当にいないんだな」。喪失感の大きさに気づかされて泣いた。最近、ようやく「新聞を読む姿が父に似ていると言われる」と笑えるようになった。

 〈音楽大学に進んで〉

 尾藤さんは東京都内の音楽大学に合格。美幸さんや祖父母の応援であしなが育英会の奨学金を取得し、この春に1人で上京した。学んでいるのはフルート。厚哉さんが尾藤さんのために少しずつためていた貯金で購入した。

 尾藤さんは小学3年生の時、音楽の授業でリコーダーに夢中になった。厚哉さんが好きだったバッハの「G線上のアリア」のCDを美幸さんが図書館で借りると、それを聴いてクラシックに魅せられた。

 厚哉さんが亡くなる直前、小学校の吹奏楽部に入部し、憧れていたフルートの担当になった。病状が悪かった厚哉さんの前で奏でる機会はほとんどなかった。一回だけ、部屋で練習しているところをのぞいて「吹けるようになって良かったね」と喜んでくれた。

 父の思いが詰まったフルートで、プロの奏者を目指して練習に励む毎日を送る尾藤さん。オーケストラで演奏することが夢だ。「今もこうしてフルートをできているのは父のおかげ。まずは学内の実技試験で少しでも良い結果を出せるよう頑張りたい」

 また「遺児を支援する奨学金には本当に助けられた」と振り返る。音大は学費が高く、奨学金がなければ進学に不安があった。「親がおらず、学校に行くのが厳しい人がいる。支援してもらえることで学びたい人が進学できている現実が、もっと知られてほしいなと思う」。家族や支援への感謝を胸に、今日もフルートを響かせる。【菅野蘭、写真も】

「母が応援してくれた夢」(5/8)

 両親への感謝の気持ちを、困難な状況で頑張る子どもたちに託す毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」が今年も始まった。9日の母の日を前に、高校3年生の時に母親を亡くした札幌市出身の大学1年生、田中さやさん(19)に思いを聞いた。

 「さやのにこにこ笑顔が大好き」。そんな言葉で、普段から何気なく愛情を伝えてくれる。そして、どんな夢でも応援してくれる。それが母美香さんだった。父一也さん(58)と経営するコンビニエンスストアを切り盛りしつつ、田中さんが幼いころから続けたピアノのレッスンに付き添い、やりたいことがあれば背中を押してくれた。

 高校2年だった2018年9月、一也さんと兄が外出していたため、田中さんは美香さんと2人だけの食卓に着いた。「ちょっと話があるんだけど。実は乳がんなんだ」。さらりと告白された。明るい様子なので、深刻な状態とは思えなかった。この時ステージ4だったことは、美香さんが亡くなってから知った。

 「母は自分との時間を増やそうとしていたのかもしれません」と田中さん。弁当は、手作りの大好きなおかずをよく詰めてくれるようになり、ちょっと豪華になった。ピアノのコンクールで上京するときも、がんの治療が始まっているのに同行してくれた。本番の前に、田中さんの手を両手でぎゅっと包むのが、美香さんの「儀式」だった。コンクールの後は、一緒に神奈川県箱根町を観光した。「1個食べると寿命が7年延びる」という名物の卵を、美香さんは2個ほおばり「あと14年は生きられる」と笑った。いつも明るく、気丈に振る舞っていた。

 乳がんが発覚して10カ月後の19年7月、美香さんは急激に容体が悪化した。家で眠る時間が長くなり、食事もとれなくなった。一也さんが半ば強引に病院に連れて行き、そのまま入院。そこで、田中さんは初めて一也さんから「余命半年」と聞かされた。意識がもうろうとして、ウイッグを外して苦しそうに眠る美香さんの姿を見るのはつらく、病室に入るのが怖かった。「お母さん」と呼びかけても、少しこちらを向いた後に目を閉じ、意思の疎通が難しくなった。ある日、ベッドで母の手を握り「大学に合格してアナウンサーになるから、お母さんも近くで見ていてね」と声を掛けると、自分の目を見て強く手を握り返してくれた。その2日後、帰らぬ人となった。まだ52歳だった。

 美香さんが他界してから、その存在の大きさに気づかされた。帰宅しても、一也さんや兄は仕事で不在。誰も居ない空間は寂しかった。お昼に自分と友人の弁当を見比べてしまう。「親が作ってくれない」と思われたくなくて、早起きして凝った弁当を作るようになった。料理をしていると気が紛れたが、いつしか心身とも限界に。夕飯後の片付けを巡り、何気ない注意に泣きじゃくったこともあった。

 小学生のころから、将来の夢はアナウンサーだ。一也さんの影響で、プロ野球の観戦がずっと好きだった。学校から帰るとテレビ番組のスポーツコーナーを見るのが日課だった。「和気あいあいとした雰囲気が楽しそうで、自然と憧れるようになった」と田中さんは笑う。美香さんは「さやがアナウンサーになってくれたらうれしいな」と応援してくれた。

 田中さんは今春、あしなが育英会の奨学金を使い、アナウンサーを目指して東京都内の大学に通い始めた。育英会を通じて、自分と同じように親と死別しても夢を追いかける仲間と出会い、励まされている。「夢をかなえて早く一人前になり、母にできなかった分の親孝行を父にしたい」。田中さんはそう思っている。【菅野蘭、写真も】

<寄付金の送り先>

現金書留(〒100-8051 毎日新聞東京社会事業団)か郵便振替(00120・0・76498)で「母の日・父の日募金キャンペーン」と書き、可能ならメッセージを添えてください。各地域面にお名前と金額を掲載しますが、匿名希望の方は明記してください。

2019年度「母の日・父の日募金キャンペーン」303万7074円を贈呈

 親への感謝の気持ちを、困難な状況でも懸命に生きる子どもたちへの支援に変える毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」に、2019年度も全国から189件303万7074円の募金が寄せられました(東京事業団には112件176万3574円)。遺児の進学を支援する「あしなが育英会」に半額を、残りを以下の社会的養護の当事者支援団体に届けました。

 NPO法人「交通遺児等を支援する会」「日向ぼっこ」「学生支援ハウスようこそ」「フェアスタートサポート」「子どもセンターぬっく」「チャイルド・リソース・センター」「青少年の自立を支える福岡の会」▽アフターケア相談所「ゆずりは」▽CVV(社会的養護の当事者エンパワメントチーム)=順不同。

2019年度「母の日・父の日募金キャンペーン」

 2019年度の毎日新聞「母の日・父の日募金キャンペーン」特集は5月5日付と6月16日付の朝刊で掲載されました。再録して紹介します。

「3姉妹支えてくれた父へ」

 きょう16日は「父の日」。親への日ごろの感謝の気持ちを、困難な状況で生きる子どもたちへの支援に変えて贈る「母の日・父の日募金キャンペーン」を、毎日新聞は今年も展開している。母を乳がんで亡くし、父子家庭で育った埼玉県新座市の大学4年、山崎千秋さん(21)に話を聞いた。

<母をがんで亡くし>

 3姉妹の真ん中に生まれた千秋さん。母の記憶は、ぼんやりとしかない。母は乳がんの再発を繰り返し、千秋さんが6歳の時に亡くなった。姉は8歳、妹は3歳だった。

父からのメッセージが書かれた幼稚園の卒園文集を手にする山崎千秋さん=東京都千代田区のあしなが育英会事務局で

 でも、寂しくはなかったという。父が毎日幼稚園の送り迎えをしてくれて、いつも一緒だった。小学生の頃は、夜ご飯の後、全員でトランプをするのが毎晩の楽しみ。土日は近郊の山や川に皆で行った。「母がいない寂しさを感じさせないように、たくさん遊んでくれた」と振り返る。

 中学生の時、父は勤めていた土木設計会社を辞めて個人の設計事務所を設立。自宅で仕事するようになった。サラリーマンの時は、子どもたちを寝かしつけてから持ち帰った仕事をしていたのを見たことがある。熱を出せば、欠勤して看病してくれていた。「会社で働き続けるのは、限界だったのでは」と推測する。

 父が家にいる時間が増え、進路や友だち付き合いなどいろいろなことを相談できた。高校の志望校が決まらなかった時、父は「本当に自分は何をしたいのか考えてごらん」と繰り返し問いかけてくれた。今でも何かに行き詰まった時の「道しるべの言葉」になっているという。

 遺児を支援する「あしなが育英会」から奨学金を受けて大学に進学した頃から、父との関係も変化してきた。あしながの活動や部活で忙しくなり、会話が減った。異性の父には相談しにくいことも出てきた。友人が母と買い物に行った話を聞くと、羨ましく感じた。そんな時は仏壇の前に座ったり、遺品を手に取ったりする。母が撮ってくれた姉妹の入浴や誕生日の写真、幼稚園の連絡帳に娘の様子をつづった丁寧な字。「愛されていたんだ」と実感できる。

 千秋さんには大切な宝物がある。幼稚園の卒園文集に父が寄せたメッセージだ。

<「いつも一緒」宝物>

 「ママが病気がちだったため、いつもパパが送り迎えをしていました。パパも思わぬ人生の変貌にとまどいながら走っていました」

 「雨の日も風の日も寒い日も暑い日も、いつも一緒に幼稚園の行き帰りを手をつなげて歩けた事が、パパにとって最高の思い出です」

 昔のように父に接するのは照れくさい。でもこれを読むたび、父の支えを感じる。今は就職活動中で、多くの人と出会える広報関係の仕事に興味がある。千秋さんは「多くの人に支えられて、これまで生きてきた。仕事を通じて社会に恩返しし、父を安心させてあげたい」と意気込む。

 厚生労働省の2016年度調査によると、父子家庭は全国に推計18万7000世帯。母子家庭より苦労は少ないとみなされがちだが、ひとり親が仕事と子育てを両立する厳しさは同じだ。子どもの貧困問題などが注目されるのに従い、国の支援は父子家庭にも広がりつつある。児童扶養手当は10年から、子どもの修学資金などを借りられる母子福祉資金も14年から対象になった。それでも、15年度の父子世帯の平均年間収入は573万円と、子どものいる世帯全体の平均の81%にとどまり、支援を必要とする家庭は少なくない。【大沢瑞季、写真も】

「夢かなえた母の背を追い」

 母の日や父の日に贈り物をする代わりに、困難な状況にいる子どもたちへ寄付してもらう毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」が今年も始まった。プレゼントをあげる親を亡くした寂しさを抱える読者の声をきっかけに2005年にスタート。今回は、父を亡くし、介護福祉士として働く母の背中を追う深山静瑠(ふかやましずる)さん(19)に家族への思いや夢を聞いた。

「母は一番の理解者」と話す深山静瑠さん=横浜市内で

<板前の父亡くなり>

 深山さんが小学5年生の時、父正志さんが肺炎で亡くなった。まだ、40歳だった。「板前として忙しく働いていた父は、家ではゆっくり過ごしていた。兄には厳しいこともあったが、私には優しく、欲しい物は何でも買ってくれた」と思い出す。

 父が亡くなり、専業主婦だった母尚子(ひさこ)さん(52)はホームヘルパー2級の資格を生かして介護施設に就職した。大好きだった父を失った深山さんは小学校に行けなくなってしまった。2週間がたち「母親が仕事に行けない。私も学校に行かなきゃ」と自分を奮い立たせ、学校に通い始めたが、保健室で過ごすことも多かった。

 他の父親と子どもを知らず知らずのうちに目で追っていたこともあり、尚子さんから「大丈夫?」と声を掛けられたこともあった。深山さんが1人にならないよう、尚子さんはパート勤務で、学校へ向かう深山さんを見送り、迎えた。

 中学校では陸上部に入り、友人に恵まれ、学校が楽しくなった。高校に進学し、卒業後の進路を考える時には、保育士や介護福祉士の資格が取れる専門学校が浮かんだ。高齢者の介護に携わり、障害児に関わる仕事にも興味を持っていた尚子さんの姿が進路を決めた。

 心配なのは学費だった。兄の幸太朗さん(22)は高校卒業後、工場に就職。独学でIT企業に転職した。「専門学校に行きたかったが経済的な負担を考えた」と聞いていた。

 「私も就職かな」と思っていたが、尚子さんは「行きたいんだったら行きな」と言ってくれた。専門学校の入学が決まったが、実際に必要な授業料などの額が提示されると、尚子さんから不安が伝わってきた。仕事で疲れ切った様子を見てきたため、「これ以上働いたら過労で倒れてしまう」と悩んだ。

<育英会に支えられ>

 そんな時に見つけたのが、高校の黒板の隅に掲示された、遺児らの進学を支援する「あしなが育英会」の案内だった。奨学金で進学した後は、勉強と高校生の時から続けているアルバイトに加え、毎年春と秋には「あしなが学生募金」の活動にも参加する。「同じような境遇の人がこんなにいて、私より大変な思いをしている人もいる」と知った。募金活動では、親が亡くなって夢を諦める人がいることや、親がいないのは悲しいけれど家族で協力しながら生きていることを訴えてきた。ある男性は深山さんの言葉を聞き「心に響いた」と募金に応じてくれた。やりがいを感じ、今年は神奈川県のリーダーを務める。

 今年3月、尚子さんの3度目の挑戦となる介護福祉士国家試験の合格通知が届いた。仕事と家事の合間に勉強し、一足早く、夢をかなえた母に尊敬と感謝の気持ちでいっぱいの深山さんは「母は私の一番の理解者。これからも自分の成長を見てもらいたい」と考えている。【御園生枝里、写真も】

2018年度「母の日・父の日募金キャンペーン」448万7303円を贈呈

 親への感謝の思いを、困難な状況で生きる子どもたちの支援につなげる毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」。2018年度は、8月末までに全国から252件448万7303円が寄せられました。(東京事業団には147件235万7760円)

 毎日新聞社と毎日新聞東京・大阪・西部社会事業団は、遺児の進学を支援する「あしなが育英会」に半額を、残りを以下の団体に届けました。

 NPO法人「交通遺児等を支援する会」「日向ぼっこ」「学生支援ハウスようこそ」「子どもセンターぬっく」「チャイルド・リソース・センター」「青少年の自立を支える福岡の会」「フェアスタートサポート」▽社会福祉法人「カリヨン子どもセンター」▽アフターケア相談所「ゆずりは」▽CVV(社会的養護の当事者支援団体)=順不同。

 ご協力ありがとうございました。

2018年度「母の日・父の日募金キャンペーン」

 2018年度の毎日新聞「母の日・父の日募金キャンペーン」特集は5月9日付と6月14日付の朝刊で掲載されました。再録して紹介します。

「母と離れ仕事が居場所に」

 親への感謝の気持ちを、困難な状況でも懸命に生きる子供たちへの支援に変える毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」が今年も始まった。13日の母の日を前に、幼い頃に父母が離婚し、児童養護施設で育った横浜市の会社員、中島希望(のぞみ)さん(26)の母への思いを伝える。

「母と一緒によく利用していた」と京浜急行上大岡駅を懐かしむ中島希望さん=横浜市港南区で

 <体調崩し生活保護>

 中島さんは最近、再会した知人に「表情が豊かになったね」と言われた。幼い頃から人と話すことが苦手だった。でも、社会に出て相手の目を見て会話できるようになった。何よりも今、「働く幸せ」を感じている。病気で働きたくても働けず、逆境の中で別居を選択するしかなかった母の気持ちも何となくわかる気がする。

 小学2年の時に両親が離婚し、父親との思い出はほとんどない。ただ、野球が好きだったことは覚えている。離婚の原因を母から聞いたことはなく、父とはそれきり会っていない。離婚後、母と4歳下の弟と3人で横浜市内で暮らし始めたが、心のバランスを崩した母はほぼ寝たきりの状態になった。気分の浮き沈みが激しく、イライラして当たり散らすこともあった。働ける状態ではなく、生活保護を受けざるを得なかった。「母が一番つらかったと思う。何もしてあげられないのが歯がゆかった」と中島さんは振り返る。

 豊かとは言えない暮らしの中で、突然思い立ったような母の勧めで始めた野球は、良い気分転換になった。知らないうちにグラブも買ってくれ、母の体調が良い時は弟と3人でキャッチボールすることもあった。白球を捕っては投げる単純な動きの繰り返しだったが、母との暮らしの貴重な思い出になっている。

 「お母さん、面倒を見てあげられないからこれから二人は施設で暮らすの。協力して仲良くね」。2003年7月、中島さんが小学6年の時に、母から横浜市の児童養護施設に入所することを伝えられた。いつだって母は唐突だ。だが、体調が悪くなるばかりで子育てに不安があったのだろうと今は想像できる。

 「離れたくない」と泣きじゃくる弟を連れて、必要最低限の荷物を持ち出し、施設の門の前で母に手を振った。悲しみと安心が入り交じったような母の表情を鮮明に覚えている。「一緒に暮らしたいよ」。弟の手を握り、中島さんはその一言をのみ込んだ。

 <なじめず短期退社>

 児童養護施設では公立中学と私立高校に通い、18歳で高校を卒業するまでの約6年間を過ごした。退所前に進路選択の時期が訪れたが、就職以外の選択肢はないに等しかった。施設で生活してきた者にとって、就職先の選択は退所後の生活を左右する切実なものだ。だが実際、高校で仲介してもらえる企業は限られていた。「さあ、この中から選びなさい」といった具合で求人票を束ねたファイルの中から選ぶしかなかった。

 特に働きたいという企業もなかったので、給料が高い建設会社を選んで入社した。現場で早朝から力仕事に精を出す日々、次第に意欲はなくなり、約5カ月で退職。「現場にもなじめなかった。相談できる大人が周りにいないし、働くことのイメージを持たないまま決めてしまった」と振り返る。

 <人と接し自信つく>

 その後、生計を立てるためにカラオケ店の深夜営業のアルバイトを始め、気がつけば2年が経過。その間に成長産業のIT系の企業に正社員として再就職し、キャリアを積みたい願望が芽生えた。しかし、企業の探し方も、就職する方法もわからなかった。そんな折、児童養護施設退所者の就職支援に取り組む横浜市のベンチャー企業・フェアスタートの仲介で、現在勤務する東京都内のIT企業に入社できた。

 「自分がやりたかった仕事だから、今は大変だけど辞めようとは思わない。ここで大変だからといって逃げたらどこに行っても通用しないと思う」。中島さんは今、初めて仕事と向き合っている実感がある。仕事を通して多くの人と接する機会が増え、自信もついてきた。

 両親と暮らす普通の家庭に憧れることもあったが、社会人になった今、母が施設に子供を預けたのは自分や弟のことを考えたうえでの決断だったと思う。「いつも学校や施設、職場でいろいろな人が助けてくれた。何よりも母が産んでくれたお陰で今の自分がある。感謝してもしきれない」と今の率直な思いを語る。

 13日の母の日に合わせて、中島さんは入院中の母親に生まれて初めてカーネーションの花をプレゼントするつもりだ。「気恥ずかしいけれど、一度くらい直接感謝の思いを伝えておきたい。色は赤やピンクがいいかな」。病床の母が喜ぶ姿を想像する中島さんの瞳は今、希望に満ちている。【梅田啓祐、写真も】


「夢追う機会、あきらめないで」

埼玉県内で1人暮らしを始めて3年目。空手部の活動や飲食店のアルバイトにも励む西村海飛さん=埼玉県宮代町で

 親への感謝の気持ちを、困難な状況で生きる子供たちの支援につなげる毎日新聞の「母の日・父の日募金キャンペーン」。今回は、5歳の時に父を亡くし、自身と似た境遇の子供たちを支援するため、「あしなが学生募金」の活動に取り組む日本工業大3年の西村海飛(かいと)さん(20)を紹介する。

 <5歳の時、父他界>

 亡き父は、「海飛」という名前に「大海のような広い心で、世の中に羽ばたいていけるように」と思いを込めた。西村さんは「あしなが育英会」の支援を受けた奨学生らで組織する「あしなが学生募金事務局」の一員だ。「親を亡くした子供たちに進学や夢を追う機会をあきらめないでほしい」との思いで、街頭募金活動を支えている。

 西村さんは静岡県富士宮市で3人兄弟の末っ子として生まれた。父は、ゴルフ場のレストランのコックだったが、仕事中に突然倒れ、西村さんが5歳の時に他界。「まだ幼かったので『死』の意味がよくわからなかった。ただ、兄や母が号泣しているのを見て涙があふれた」と、振り返る。

 父の記憶は断片的に残っている程度。仕事熱心で、家でのんびりしていたような印象はない。漠然と覚えているのは職場のレストランで家族に作ってくれる特製ハンバーグのおいしさ。幼心に父が誇らしかった。今はもう二度と食べることができないハンバーグは、家族だんらんの思い出の一品だ。

 <3兄弟育てた母>

 父の死後、それまで専業主婦だった母は働き始め、女手一つで3兄弟を育てた。西村さんはボーイスカウト活動や空手、バスケットボールなどの習い事に精を出し、のびのびと成長。時折、習い事を休もうとする西村さんに、母は「中途半端はよくないでしょう。何でもやり通すことが大事よ」と背中を押してくれた。一家の大黒柱の父が急にいなくなった寂しさをできる限り子供たちに感じさせまい、と優しくも厳しく振る舞っていた。西村さんは「3人兄弟を育てるのは大変だったと思う。感謝しています」と郷里の母への思いを打ち明けた。

 あしなが育英会の奨学金を受け始めたのは高校1年の時だ。「家計面で少しでも母には楽になってもらいたい」という一念だった。その後、奨学金のお陰で、無事に日本工業大工学部に進学。今は幼少期から関心があった建築学を埼玉県宮代町のキャンパスで学んでいる。

 「親を亡くした日本やアフリカの子供たちにチャンスをください」。5月5日、小田急電鉄新百合ケ丘駅(川崎市)の前で、西村さんは通行人に呼びかけた。病気や災害で親を亡くした子供たちの奨学金を募るあしなが学生募金の活動だ。毎年、春と秋の2回、全国で実施している。西村さんは東京、埼玉、神奈川など首都圏エリアを管轄する事務局次長補佐という立場で運営に携わっている。4月21、22、28、29日と5月5日の計5日間で集まった額は全国で1億1000万円。首都圏エリアでは、そのうち約4000万円の寄付金が集まった。

 <感謝込め頭下げる>

 「あしながと、ここまで長く密接に関わるとは思っていなかった」と話す西村さん。募金活動に取り組むようになったのは、高校1年の夏にあしながのキャンプに参加したことがきっかけだ。静岡県御殿場市で過ごした4日間で、親を亡くした奨学生同士が「自分史」を紹介する機会があった。恥ずかしかったが、他の奨学生が涙ながらに語る肉親の死や少年時代の思い出に耳を傾けるうちにためらいはなくなった。さらに、幼くして両親を失った人、進学を希望していても家計が苦しくあきらめざるを得ない人がいることも知った。「自分よりも大変で苦しい経験をした人がいたんだ」と、気づきを得ると同時に「今、つらい思いをしている子供を一人でも多く助けたい」と感じた。

 あしなが学生募金は、奨学生や高校生ボランティアが活動を支え、今年で49年目。雑踏で街頭募金をしていると、人情や思いやりを感じることが多い。「頑張ってね」と激励してくれる高齢の女性や、お金を募金箱に入れて何も言わずニコッと笑顔で立ち去る男性など、十人十色だ。いつも感謝を込めて頭を下げている。

 あしなが育英会の職員で、首都圏エリアの学生支援を担当する瑞慶山(ずけやま)貴大さん(26)は、西村さんについて「いつも物腰柔らかで一生懸命。真剣に取り組む姿に元気をもらってます」と信頼を寄せる。「本人は長所を自覚していなくて、良い意味で鈍感。癒やされます」とも。

 これまで西村さんが、両親のいる家庭をうらやましく思ったことは多々ある。「もしあの時、父がいたら……」と考えたことも数知れない。でも、今はあしながの活動や仲間と出会えたのは、天国の父がつないでくれた縁と思って、自身の境遇と向き合っている。建築の道を志す一方、奨学金として自分が受けたバトンを次世代に引き渡すため、これからもあしながの“主翼”として募金活動を支えるつもりだ。【梅田啓祐、写真も】

2017年度「母の日・父の日募金キャンペーン」389万3549円を贈呈

 2017年度の毎日新聞「母の日・父の日募金キャンペーン」には8月末までに181件389万3549円が寄せられました。毎日新聞社と毎日新聞東京・大阪・西部社会事業団は、遺児の進学を支援する「あしなが育英会」に半額を、残りを以下の団体に届けました。

 NPO法人「交通遺児等を支援する会」「日向ぼっこ」「学生支援ハウスようこそ」「子どもセンターぬっく」「青少年の自立を支える福岡の会」▽社会福祉法人「カリヨン子どもセンター」▽アフターケア相談所「ゆずりは」▽CVV(社会的養護の当事者支援団体)=順不同。

 皆様からのご協力、ありがとうございました。

2016年度「母の日・父の日募金キャンペーン」194万円を贈呈

 毎日新聞「母の日・父の日募金キャンペーン」に対し、2016年度も8月末までで東京・大阪・西部の3社会事業団に113件194万6892円が寄せられました。(うち東京には55件99万3992円)

 遺児の進学を支援する「あしなが育英会」に半額を、残り半額を以下の児童養護団体に贈呈しました。

 NPO法人「交通遺児等を支援する会」「日向ぼっこ」「ブリッジフォースマイル」「青少年の自立を支える福岡の会」▽社会福祉法人「カリヨン子どもセンター」▽CVV(社会的養護の当事者支援団体)=順不同。

 皆様のご協力に感謝いたします。

母の日・父の日募金キャンペーン

 2005年の初夏、毎日新聞の生活家庭面に「贈り物をしたくても母がもういない」「母の日にカーネーションを見るのがつらい」など、親を亡くして悲しむ読者からの投稿が寄せられました。これを機に、母の日・父の日をあらためて家族を思うきっかけとして、親への感謝の気持ちを、困難な状況で生きる子どもたちへの支援に替えて贈ろうという募金キャンペーンがスタートしました。

親から虐待を受けた子どもたちを援助する団体

カリヨン子どもセンターの坪井節子理事長

国内第1号の子どもシェルター
カリヨンこどもセンター

 社会福祉法人「カリヨン子どもセンター」(東京)は自立援助ホームを運営しているだけではありません。虐待された子どもを一時保護する「子どもシェルター」も開設しています。「今すぐ逃げ出したい」「今夜、帰る所がない」。居場所を失った子どもたちを一時保護します。

 児童相談所にも一時保護施設はありますが、満杯です。その隙間を埋めるように、民間の子どもシェルターが全国に数カ所できています。その第1号が04年に開設した「カリヨン子どもの家」です。13年春までに、約240人を受け入れてきました。

女子用の自立援助ホーム「カリヨン夕焼け荘」の居室

 滞在期間は決められていませんが、平均2か月程度です。その間、食事と個室を提供します。社会福祉士などの資格を持つ職員と一緒に、散歩、買い物、料理、遊びと、家庭的な暮らしを心がけます。

 弁護士でもある坪井節子理事長によると、大方は2カ月ぐらいで社会とつながりを持ちたくなるそうです。仕事を見つけたところで自立援助ホームにつなげます。