母の日・父の日募金キャンペーン

「私が父代わりに」誓った日

七五三の時の家族写真と父からもらった剣道のつばを手にする金井優佳さん

 6月16日は父の日。毎日新聞は、困難な状況で生きる子どもを支援する「母の日・父の日募金キャンペーン」を実施しています。東京都在住の日本女子大2年、金井優佳さん (19)は2023年1月に父裕興(ひろおき)さん(当時52歳)を亡くしました。精神的支柱を失ったショックで母理恵さん(59)と中学3年の妹優樹奈さん(14)が泣く姿を見て、「私が父親代わりになる」と自身を奮い立たせてきました。

 群馬県高崎市出身。裕興さんは、金井さんが幼い頃に指定難病の潰瘍性大腸炎を発症し、晩年はがんと闘っていた。体調を崩してからは郵便局に勤めていたが入退院を繰り返した。金井さんは「ずっと危ないと言われていたので、父の死は長年覚悟していました」と語る。

 それでも、裕興さんは闘病を続けながら家族を旅行などに連れて行ってくれた。海水浴に出掛けた時には自身が加われなくても家族3人が水遊びする様子を遠くから見守った。「父が病気だからといって、悲しい思いをしたことはほとんどありませんでした」

 金井さんは中学、高校と剣道部に所属した。自ら選んだが、後に父も剣道をしていたことを知った。照れ隠しのためか、感情を表に出さなかった裕興さんだが、母からは「優佳が剣道をやるのを喜んでいたよ」と聞かされた。

 

●褒められた思い出

 また、車で試合会場などへの送迎をしてくれた裕興さんが、運転しながらアドバイスをくれたことも良い思い出だ。亡くなる半年前にも、高校最後の公式戦を見に来てくれた。団体戦で惜しくも敗退したが、裕興さんは「攻めることができて良かった」と満足そうだった。金井さんは「たまに褒めてくれるのがうれしかった」と振り返る。

 裕興さんは闘病がどんなにつらくても弱音を吐かず、耐える人だった。だが、次第に体力も失われ、自宅の椅子に座っている時間が増えた。

 ある時、金井さんが居間で勉強をしていると、裕興さんの苦しそうな声が聞こえてきた。「何度も病院に運ばれているから今回も大丈夫だろう」。そう思ったが、裕興さんの顔色がこれまでになく悪かったことが頭に残っている。その後、裕興さんは帰らぬ人となった。

 直後は寂しさより今後の生活への不安が募った。母と妹が悲しむ様子を見て、「私が頑張らなければ」と思ったという。だが、自室に1人でいる時には涙があふれた。間近に控えた大学入試の勉強に身が入らず、希望していた国立大の受験は断念し、私立の日本女子大に入学することを決めた。裕興さんに勧められていた進学先だった。

 

●国語教師が夢

 今は大好きな現代文学の勉強や大学祭の企画などで忙しく過ごす。また、高校時代から「あしなが育英会」の奨学金を利用しており、同会の募金活動にも取り組んでいる。

 将来は高校で国語を教えることが夢だ。同時に、自身と同じような境遇の子どもたちの支えにもなりたいと思っている。「(高校時代まで)私の気持ちに寄り添ってくれる先生はいましたが、生きていくためのすべを教えてくれる存在はいませんでした。困っている生徒に具体的な対策を教えてあげられる先生になりたい」

 最近は高校進学を控えた妹の進路相談に乗ったり奨学金申請の準備を手伝ったりしている。計画を立てて行動するのは裕興さん譲りの性格だ。

 一方で、人に弱みを見せないところも裕興さんに似た。家族の中で「私が父親代わりに」と覚悟を決めたものの、19歳の大学生として父に頼りたくなることもある。

 普段は口数が少なかったけれど、何か大きなことがあると一緒に喜んでくれました。時々、『父が褒めてくれたらな』と思うことがあります」【宮川佐知子、写真も】

(2024.6.8 毎日新聞)

優しく諭してくれた母

 2024年は5月12日が母の日、6月16日が父の日。毎日新聞は、困難な状況で生きる子どもを支援する「母の日・父の日募金キャンペーン」を実施しています。埼玉県在住の流通経済大4年、岩田峻さん(21)は10歳の時に父信一さん(当時44歳)を亡くしたが、母あけみさん(55)と2人の兄に支えられ、来春に大学を卒業する予定です。

●父死後も気丈に

 信一さんは大手電機メーカーに勤める仕事熱心な人だったが、週末は家族を海などに連れて行ってくれた。車好きで、岩田さんを助手席に乗せドライブに出掛けたこともある。信一さんからもらったオレンジ色のミニカーは今でも大切にしている。

 岩田さんが小学3年生だった時、信一さんは内臓などの不調を訴えるようになった。仕事が多忙でストレスも重なっていたのだろう。医師の診察を受けても原因は分からなかったが、その後の検査で肺がんであることが判明した。

 家族の心の準備が追いつかないまま、亡くなる1カ月前から入院。看護師のあけみさんも付き添いのため、家を空けるようになった。「この先、どうなるんだろう。3人に何ができるのかな」。2人の兄たちと不安を募らせた。

 12年7月、体調不良を訴えてからわずか数カ月で信一さんは帰らぬ人となった。葬儀に参列した職場の同僚たちは生前の信一さんについて「厳しい時もあるが、的確なアドバイスをくれた」「コミュニケーション能力が高い人だった」などと話していた。幼心に人付き合いを大切にしていた父の一面を知った。

 その後はあけみさんが家計を支えた。気丈に振る舞い、泣いているのを見たのは信一さんが亡くなった時だけ。どんなに仕事が忙しくても、食事は必ず用意してくれた。

 そんなあけみさんも、信一さんの死から3年後に検査で病気が判明し、今も闘病を続けている。それでも、子どもたちには変わらずに愛情を注いでくれた。

 岩田さんが志望の高校に進学できず、不登校気味になった時のことだ。「将来やりたいことはあるの? そのためにはどうしたらいい?」。あけみさんは無理に学校に行けとは言わず、優しく諭すように通学を後押ししてくれた。

 兄にも感謝の念が尽きない。父親代わりになってくれた長兄の翔さん(28)は熱心に勉強を教えてくれ、進路などの相談にも乗ってくれた。

 以前は父を亡くしたことを同級生らに打ち明けられなかった。だが、高校3年の時、病気や事故で親を失うなどした子どもを支援する「あしなが育英会」の奨学生の集いに参加し、心境に変化があった。「自分と似た境遇の遺児たちに出会い、気持ちが軽くなった。自分は特別じゃないと思い、できることを精いっぱいやろうと前向きになれた」

●夢はコンサルタント

 大学に入学してからは奨学金を受け取る高校生向けのサマーキャンプにリーダーとして参加し、悩みや進路の相談に乗ってきた。現在はあしなが学生募金事務局の首都圏学生代表として募金活動に取り組む。「自分の親しい人もいつかは同じ立場になるかもしれない。活動への認知が広がれば」との思いは強い。

 大学卒業後は物流関係のコンサルタントになることを目指している。「トラック運転手の不足や労働環境が問題になっているが、戦略や業務の効率化を考え少しでも解決に役立ちたい」と思っている。

 「かわいいもの」が好きなあけみさんには毎年母の日に、ぬいぐるみや花を贈っている。「いつまでも元気でいてほしい。就職したら、給料で母と一緒に旅行に行きたい」【宮川佐知子、写真も】

(2024.5.11 毎日新聞)

父が手にくれたミニカーを手にする岩田峻さん

 ご寄付は、必ず「母の日・父の日募金」と明記し、郵便振替か現金書留でお寄せください。紙面掲載で「匿名希望」の方はその旨を記し、可能ならメッセージを添えてください。 受け付けは8月末日まで。

◇寄付金の送り先
郵便振替00120・0・76498
〒100―8051(住所不要)毎日新聞東京社会事業団