点字毎日の歴史

創刊は大正時代

 点字毎日は、毎日新聞の記事を点字でまとめたものではありません。見えない、見えにくい人に関係する福祉や教育、文化、生活などさまざまな分野のニュースを、点字毎日の記者が独自に取材し、点字を使った新聞として発行しています。

 創刊は1922(大正11)年です。自身も目が見えなかった最初の編集長、中村京太郎は発行の狙いとして「見えない人が自ら読める新聞を提供し、新聞の持つ文化的な使命を徹底させよう」と第1号でよびかけました。さらに、見えない人に対しては「市民として社会で活動するのに必要な知識と勇気、そして喜びを持ってほしい」、社会には「見えない人に関心を持ってもらおう」と、新聞発行の理念を訴えました。

1922年(大正11年)5月11日発行の「点字大阪毎日」(「点字毎日」の前身)創刊号の表紙
1922年(大正11年)5月11日発行の「点字大阪毎日」(「点字毎日」の前身)創刊号の表紙
「点字毎日」初代編集長、中村京太郎
「点字毎日」初代編集長、中村京太郎

損得を度外視

 点字新聞の発行が提案された時、社内からは反対の声が上がりました。「そんなもうからんもん、あかん」。そのころは、点字を読める見えない人がごくわずかで、収益は全く見込めそうにありません。まだ、福祉という考え方も確立していませんでした。日本にはラジオもない時代で、見えない人が社会の動きを知ろうとしても、身近にいる見える人に新聞を読み聞かせてもらうくらいしか手段がありませんでした。ただ、当時の大阪毎日新聞社の社長、本山彦一は「これはいい案だ。ぜひやろう。損得など問題ではない」と賛成し、発行に向けて動き出しました。

 点字新聞を発行して収益が出るのか、新聞発行を続けられるのかと心配する声は、社外の人にもありました。記録によりますと、創刊号にお祝いの言葉を寄せた当時の首相、高橋是清も「見えない人の新聞を発行しても300(部)出たらいい方だろう」と語ったそうです。

点字新聞の発行が提案された当時の大阪毎日新聞社社長、本山彦一
点字新聞の発行が提案された当時の大阪毎日新聞社社長、本山彦一
戦前の点字毎日編集部
戦前の点字毎日編集部

点字普及に貢献

 良くも悪くも点字新聞の発行は、たくさんの注目を集めました。アメリカから輸入した最新の点字印刷機の調整がうまくいかず、創刊号は人が手で回して動かして印刷しました。定価は10銭で800部、発行されました。情けや哀れみを求めるのではなく、見えない人たちが自分たちの思いや意見を発表したり、論じたりできる場を作りたいと、中村編集長は強く主張したそうです。

 点字毎日は、各地の見えない人たちに点字を知ってもらえるように、この触って読む文字を広める活動もしました。見えない、見えにくい子どもたちのための学校(盲学校)で使う点字の教科書をはじめ、見えない人たちが点字を使って投票できるように、模擬投票も行ったほどでした。

 そのころ、選挙権を得るにはまとまった金額の税金を納める必要があり、選挙権があったのは全人口のわずか5%でした。「私たちの声を政治に反映させよう」と、世の中全体が普通選挙運動でとても盛り上がっていました。見えない人たちも点字で投票できるようにと各地で活動し、その様子は点字毎日でも紹介されました。そして、25歳以上の男子すべてに選挙権が拡大した25(大正14)年の普通選挙法で、世界で初めて点字投票が認められました。28(昭和3)年に行われた普通選挙制度の下での最初の総選挙では、全国で5428票が点字で投票されました。

 同じ年には、盲学校の生徒たちが、思いや生き方を訴える全国盲学生雄弁大会(後の全国盲学校弁論大会)を新しく始めるなど、点字毎日はさまざまな事業を通して、視覚障害者と社会を結ぶかけ橋としての役割も担ってきました。

点字毎日で発行した盲学校用の点字教科書
点字毎日で発行した盲学校用の点字教科書
1927年(昭和2年)9月12日に大阪・中之島の中央公会堂で行われた毎日新聞主催の点字模擬投票
1927年(昭和2年)9月12日に大阪・中之島の中央公会堂で行われた毎日新聞主催の点字模擬投票
1928年(昭和3年)に創設された「全国盲学生雄弁大会」の第1回大会(左上の円内は優勝トロフィー)
1928年(昭和3年)に創設された「全国盲学生雄弁大会」の第1回大会(左上の円内は優勝トロフィー)

菊池寛賞などを受賞

 こうした長年にわたる活動が評価され、63(昭和38)年、点字毎日は日本文学振興会から文学や演劇などで功績があった人や団体に贈られる文化賞「菊池寛賞」を受賞しました。この受賞を記念して翌年、視覚障害者の文化や福祉、教育の分野で貢献した人たちをたたえる「点字毎日文化賞」を創設しました。

 また、68(昭和43)年には朝日新聞社による、社会や福祉に貢献し、その功績が著しいと認められた個人や団体に贈られる「朝日賞(後の朝日社会福祉賞)」を受賞しました。その記念事業で、ハンセン病で失明し、点字を読むのに欠かせない指先の感覚を失った人たちのために、記事の内容をカセットテープで録音した「声の点字毎日」を無料で贈りました。今でも耳で聞いて楽しんでもらえるよう、毎日新聞社会事業団と一緒に点字毎日音声版を贈り続けています。

 さらに、2018年には公益社団法人・日本記者クラブから日本記者クラブ賞特別賞を贈られました。授賞の理由は、「点字毎日は、視覚障害者にとって長く貴重な情報源となってきた。収益よりも社会的弱者への貢献を優先した100年近い歩みは敬服する。ジャーナリズムの使命の広がりについても考えさせてくれた」といわれました。加えて22(令和4)年には、障害者などすべての人が安全で快適な生活が送れるよう取り組む団体などを表彰する内閣府の「バリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰」で最高賞の内閣総理大臣表彰を受けました。

点字毎日の「菊池寛賞」受賞決定を紹介した毎日新聞の記事=1963年(昭和38年)2月20日付朝刊
点字毎日の「菊池寛賞」受賞決定を紹介した毎日新聞の記事=1963年(昭和38年)2月20日付朝刊
点字毎日が「朝日賞」を受賞したことを紹介した毎日新聞の記事=1968年(昭和43年)1月17日付朝刊
点字毎日が「朝日賞」を受賞したことを紹介した毎日新聞の記事=1968年(昭和43年)1月17日付朝刊
点字毎日の音声媒体。右上から時計回りに、初代・オープンリール、2代目・カセットテープ、3代目・デイジー形式のCD
点字毎日の音声媒体。右上から時計回りに、初代・オープンリール、2代目・カセットテープ、3代目・デイジー形式のCD

両陛下が視察

 大阪・梅田の毎日新聞大阪本社にある点字毎日の編集部と印刷室。実はいろいろな人が視察しています。見えない、聞こえないという障害があり、世界を巡って障害者の生活がよくなるよう活動し続けた米国人ヘレン・ケラーは3度、来日しています。1955年の3度目の来日時には、点字毎日を訪れています。

 さらに99年には当時の天皇、皇后両陛下(現在の上皇、上皇后両陛下)が点字毎日の編集部や印刷室を視察されました。皇后陛下は点字を学ばれた経験があり、以前から点字毎日に関心を寄せておられました。両陛下は、編集から印刷までの製作工程を予定時間を超えて熱心に見入り、「これからも良い仕事をなさってください」と励ましてくださいました。

3度目の来日で、点字毎日の印刷室を訪れたヘレン・ケラー(左)=大阪市北区堂島の毎日新聞旧大阪本社で1955年(昭和30年)6月
3度目の来日で、点字毎日の印刷室を訪れたヘレン・ケラー(左)=大阪市北区堂島の毎日新聞旧大阪本社で1955年(昭和30年)6月
点字毎日編集部で、点字タイプライター(下)で打ち出した紙をご覧になる現上皇さま・上皇后美智子さま=大阪市北区の毎日新聞大阪本社で1999年(平成11年)11月17日
点字毎日編集部で、点字タイプライター(下)で打ち出した紙をご覧になる現上皇さま・上皇后美智子さま=大阪市北区の毎日新聞大阪本社で1999年(平成11年)11月17日

そして現在

 最初に点字の新聞を発行した頃と比べると、社会の様子や、情報を伝える方法は、大きく変化してきました。見えない、見えにくい人を取り巻く福祉施策も新しくなっています。障害のある人の教育は、障害の種類や程度によって学ぶ場を決めていた特殊教育から、児童生徒一人一人の状態や発達段階などによってどのような指導や支援が必要かを探っていく特別支援教育へと変わりました。

 そうした中で、紙の点字の新聞で始まった点字毎日も変化しています。見えにくい人が文字を大きくする機器を使って読めるように大きめの文字で印刷した新聞(活字版)や、点字新聞の内容を人が読んで録音して伝える音声版など、いろいろな形で発行しています。

 見えない、見えにくい人たちが特に困っているのは、移動と、情報の入手とされています。点字毎日の情報は、そんな視覚に障害のある人たちに関係する福祉をはじめ、教育や生活、趣味など、関心の高い分野について、今何が起きているのか、どんな課題があるのかを伝えています。同時に、見えない、見えにくい人たちの声を社会に届け、だれもがその人らしく生きることができる共生社会の実現に向けて努力しています。視覚に障害がある人たちのための新聞、という原点を大切にしながら、これからも読者の皆さんとともに歩んでいきます。

「点字毎日」創刊100年記念号(第5090号)の表紙=2022年(令和4年)5月10・17日合併号
「点字毎日」創刊100年記念号(第5090号)の表紙=2022年(令和4年)5月10・17日合併号
「点字毎日」創刊100年記念号(第5090号)対応の「点字毎日活字版」の1面=2022年(令和4年)5月12日付
「点字毎日」創刊100年記念号(第5090号)対応の「点字毎日活字版」の1面=2022年(令和4年)5月12日付