第3部(生活の器)の審査員に就任松本武明さん(ギャラリー「うつわノート」店主)
前回に引き続き、新たに第3部(生活の器部門)審査員の就任する松本武明さんに話を聞きました。松本さんもギャラリーを運営。他業界出身ということでも、前回の広瀬一郎さんと重なります。(構成・三枝泰一)
――松本さんのご経歴に興味を持ちました。
最初は大手電機メーカーで13年、宣伝やイベント企画の仕事をしました。「メイド・イン・ジャパン」の絶頂期。ものづくり“世界一”を謳歌した時代の、その真ん中にいました。次は通信事業。90年代半ば、世の中の関心がITコンテンツに向かい始めた時期に、外部キャリアを集めていた大手電気通信会社に転職しました。バブルとITバブル。二つを経験した、まさに象徴的なサラリーマンでした。
――その延長線に、今の仕事があるのですか?
いや、スキルを持ち込んだというのではなく、むしろ「反発」が原点です。
40代になって、自分を見失っていることに気づいたのです。自分の仕事の「意味」が分からなくなった。時間的余裕が生まれたので、大学が美術系だったこともあり、陶芸教室に通い始めました。「純」な世界がそこにはあった。ひたすら土をこねて作りあげる質感。「人対人」、手渡しでものを売る商慣行……。「アナログ」「前近代的」「不器用」という言葉でくくっていた世界の持つ精神的な豊かさに魅了されました。
同時に、その世界を成り立たせているものは何か、ということに興味がわき、そこに参加したくなりました。サラリーマン生活を続けながら、毎週末、毎週末、陶芸の展示場に足を運んだ。そこで見たもの、買ったもの、そして作家さんと話したことを紙のノートにひたすら書き留めた。ブログ「うつわノート」は、それを電子化して続けてきたものです。
教室に通っていたころ、ある作家の展覧会の宣伝をお手伝いしたことがありました。リリース、DM、マスコミへのプロモーションと、会社でやってきた方法をそのまま持ち込んだのですが、全く通用しませんでした。仕事で対象にしてきたのがマスマーケットばかりだったので、リアルな人間とは誰一人、会えていなかった。情報を統計値としてしか見ていなかった。
――そこで見つけたこととは?
最初はたった1人でもいい。向かい合って、理解し合える人が現れれば、点になり、線になり、面になる。これが「リアル」です。うちは「うつわノート」から始まりました。ブログは個人ムーブ。その広がりは、まさにこのことと重なります。
「自発する」というのかな、暮らしにつながる器の世界です。鑑賞に知識が問われたり、作品が格付けの対象になるようなハイカルチャーではなく、大衆に根付いたサブカルチャーの中にあります。暮らしの中で使ってもらおうという、作り手の慈愛のようなものです。作り手と使い手とがいて、「一対一」で器を買う。それは公平な取引ですよね。使い手の意識を高めるという意味では、自分への文化投資でもある。
明治以降、「美術」という概念が西洋から入ってきて、ショーケースの中の鑑賞品と、そうでない領域とに切り分けられてしまった。本来はそうではない。美と工芸とは渾然一体としてあった。私は、21世紀を境に、暮らしの中に美が戻ってきた、という実感をもっています。終身雇用制度が消え、若い人たちも(私が感じたのと同じような)「拠り所」を求めていた。自発する器は、若い作家たちの心性と重なっています。
――これからの公募展の意義をどのように考えますか。
器ブームが来ているのは事実です。インスタグラムの浸透で、作る人も、見る人も増え、ビジュアル的な“ファストファッション化”のような現象が生まれている。「行列のできる○○」みたいな……。一方で、系譜や技術のあり方への関心などは、必ずしも追いついてはいない。陶土や釉薬へ費やされた労力などは、必ずしも正当には評価されていない。表層が切り取られ、骨格が見えなくなっている。このままブームが終われば、何も残らないかもしれない。
今、改めて、「基準」を確立するようなポジションは必要だと思います。作り手と使い手とが直接つながっていく中で、あえて客観的な視点を確保する。文章化し、記録する。そうした仕事に携われることになり、うれしく思っています。
川越にあるギャラリー「うつわノート」でインタビューを行った。当日はうつわ作家の野口悦士さんの作品が展示されていた。
松本 武明 MATSUMOTO TAKEAKI
1961年山口県生。武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科卒。
電機メーカー宣伝部、通信会社でインターネット事業の会社員勤務を経て、2011年に埼玉県川越市にギャラリーうつわノートを開設。現在、うつわギャラリー店主