主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2022年モルドバ報告 離散 

迫る暴力の影 出国を決意
  
露軍「協力しないなら暴行」

ウクライナとモルドバ国境のユニセフなどの国際機関が用意した支援施設で、ウクライナの国の形をしたパズルゲームで遊ぶアレクセイさん一家。アレクセイさんが手にするのは故郷へルソンのパーツ=パランカで2022年6月17日、山田尚弘撮影

ウクライナとモルドバ国境のユニセフなどの国際機関が用意した支援施設で、ウクライナの国の形をしたパズルゲームで遊ぶアレクセイさん一家。アレクセイさんが手にするのは故郷へルソンのパーツ=パランカで2022年6月17日、山田尚弘撮影

 ウクライナ南部のヘルソン州は、ロシアのターゲットにされてきた。ミサイルにおびえる生活が100日を超えた6月上旬のある日、アレクセイ・アロヒンさん(36)は「食べ物を探し回る毎日、地下室での生活はもう終わりにしたい」と家族で国外脱出することを決めた。避難にも危険が伴うことは分かっていた。それでも決断した理由は、親類宅に迫った暴力の影だった。

 アレクセイさんは、妻イリナさん(36)と11~3歳の子ども3人の5人家族。ロシア軍が4月末に同州全域を支配下に置いたと宣言するなど、地元は侵攻の影響を大きく受け、一家は多くの時間を自宅の地下室で過ごした。アレクセイさんは警備の仕事をしていたが休職を余儀なくされた。男性はロシア軍に狙われ外出自体が危険なため、食料の買い出しはイリナさんが担った。各地の店を回り、数時間待ちの行列は当たり前。トマトやキュウリなどは自宅の庭で栽培した。

 いつの間にかテレビではウクライナの番組に代わり、ロシアの番組が流れるようになった。インターネットやスマートフォンではウクライナ語のニュースが読めなくなり、一部のSNSも使えなくなった。アレクセイさんは特別な技術で接続制限をかいくぐり、ウクライナ側の発信する情報にも触れ続けた。

 なんとか耐えていたが、ある知らせに潜伏生活の限界を悟った。突然、ロシア兵がアレクセイさんのいとこの家に立ち入り、ロシア側に協力するよう署名を求めてきた。そして「サインしないなら(9歳の)娘を暴行するぞ」と脅したのだ。「ロシアのニュースは市民を攻撃しないと言っているのに矛盾を感じた。他にも、脅されて周囲に言えない人がいるのではないか」

 国外脱出を決意したアレクセイさん一家は6月9日早朝、自家用車で西隣の国モルドバを目指し出発した。「いつ帰ってくるの」。子どもたちは住み慣れた場所を離れることをためらったが、「大切なのはここを離れること。家族の無事が一番」と言い聞かせた。

 ロシア軍によって州内各地に張り巡らせた検問をどう通過するか。「殺されるかもしれない」と恐怖もよぎったが、夫婦で冷静さを保ち、子どもにも落ち着くよう伝えた。検問で訪問先を聞かれた際は「親戚宅に行く」と答えた。州内で通過できる道路は限られており、東側のザポロジエ経由で遠回りをしてオデッサに到達した。イリナさんは「賄賂を要求されると思ったが、たばこ3本で済んだ。最後の検問では子どもたちにオレンジをくれたが、怖かったので食べなかった」と振り返る。

 車が故障したため、最後は知人が国境付近まで送り届けてくれた。ウクライナ政府は18~60歳の男性の出国を制限しているが、アレクセイさんは子どもが3人いるため出国が認められた。モルドバに脱出したのは17日。「ここではサイレンが聞こえず、安全なのだと実感した」。出発から1週間以上がたっていた。

 侵攻後、モルドバにはウクライナから多い時で1日6000人以上が押し寄せ、現在も1000人前後が避難してくる。国境検問所のある南部・パランカでは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などが常駐し、相談や食事の提供、各地に向かうバスの運行などの支援活動をしている。

 「子どもたちが楽しそうに遊ぶのを見るのは久しぶり」。モルドバ入りした17日、ユニセフ(国連児童基金)が設けた支援施設の一角で、アレクセイさんはほっとした表情を見せた。イリナさんは「大変な状況の中、子どもたちはなんとか3カ月間頑張った。特に息子(11)は警報が鳴ったら率先して幼い妹(3)、弟(7)を地下に誘導するなど責任感が増した」と目を細める。

 これから一家はバスなどを乗り継ぎ、知人のいるポーランドを目指す。「言葉は勉強すればいいし、仕事だって何でもする。安心して暮らせることを考えたら全く問題でない。それより心配なのは、ウクライナに残る妻の両親や親族のことだ」と表情を曇らせた。【文・宮川佐知子、写真・山田尚弘】

 

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