主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2022年モルドバ報告 離散 

歓待感謝、でも「帰りたい」
  
ステイ先で穏やかな日々

同じ食卓を囲むクリスティーナ・マルギナさん(右端)一家。アレクシエイ・チェキナさん(左から2人目)が住居を提供してくれた=エディネットで2022年5月27日、山田尚弘撮影

同じ食卓を囲むクリスティーナ・マルギナさん(右端)一家。アレクシエイ・チェキナさん(左から2人目)が住居を提供してくれた=エディネットで2022年5月27日、山田尚弘撮影

 「おじいちゃん、今日も学校楽しかったよ」。ソ連時代に建てられた古びたアパートの一室。5畳ほどのダイニングキッチンで、高齢の男性と小学生の女児らがテーブルを囲み、ロシア語で談笑している。つい数カ月前まで出会うことすらなかったウクライナからの避難者を、モルドバの人々は「家族」のように温かく迎え入れた。それでも避難者は、ふとしたことで悲しみに襲われる。心の傷が癒える日は来るのか。

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、ロシアによる侵攻後、7日時点で約727万人がウクライナを逃れ、約9万人がモルドバ国内に滞在している。大半が親族や知人を頼って避難してきた人々だが、見ず知らずの家庭にホームステイするケースも少なくない。

 「娘たちは海外に行ってしまって、1人暮らしで退屈していた。誰かの役に立てればいいと思った」。北西部の都市エディネットに住み、ガス関連の仕事に就くアレクシエイ・チェキナさん(62)はそう言うと、笑みを見せた。侵攻が始まって間もなく、ボランティアとして避難者の受け入れを申し出た。ウクライナにいる支援者を通じて3月8日、南部ザポロジエから逃れてきたクリスティーナ・マルギナさん(33)ら4人家族を迎えることになった。

 マルギナさん一家は侵攻が始まった直後から、義母(64)の出身地モルドバへの避難を決めた。気がかりだったのはザポロジエ原子力発電所だ。家からは離れているが、原発はドニエプル川付近にある。何かあったら、流域に住む自分たちも大きな影響がある――。マルギナさんは夫を残して3月上旬、長女(7)、長男(1)を連れてザポロジエを出発。列車などを乗り継いで4日かけてエディネットにたどり着いた。

 「ホストのチェキナさんに温かく迎えられ、久しぶりにシャワーを浴び、ベッドで寝られた時は本当にほっとした」とマルギナさん。アパートは3部屋しかなく、決して広くはない他人の家で初めは不安を感じたが、「台所など家にある物は全て自由に使っていい」などルールを確認し合い、共同生活を始めた。イタリアにいるチェキナさんの娘が家族向けに服を送ってくれたり、一緒に食卓を囲んだりするうちに少しずつ打ち解けてきた。

 マルギナさんの長女は、車で学校に送迎してくれるチェキナさんを「おじいちゃん」と呼んで懐いている。チェキナさんは「早くウクライナに戻れればいいと願う半面、いつかいなくなってしまうと思うと寂しい」。そう思うほど、かけがえのない関係になった。

 一方、避難生活が長期化するにつれ、マルギナさんは複雑な思いを抱える。長女はオンラインでウクライナの学校の授業を受けていたが、「同年代の子どもたちと交流できた方がいい」と最近、ロシア語で教育を受けられる学校に通い始めた。モルドバ語は話せなくても、ロシア語ならウクライナでも使っていたため、コミュニケーションが取れるからだ。

 しかし、教員の中にはロシア支持者もおり、マルギナさんは「なぜウクライナがこんなことになったのでしょう」と面と向かって嫌みを言われたこともあった。「モルドバには親切な人もたくさんいるが、全ての人が私たちの状況を理解してくれているわけではない。ウクライナ国旗を見るたびに帰りたいと思う」と漏らす。

 侵攻後、ウクライナ政府は18~60歳の男性の出国を制限しているが、3人以上子どもがいる場合など出国が認められるケースもある。長女が通う学校には、父親と一緒に暮らすウクライナからの避難児童もいるという。「夜になると娘が『なぜうちにはお父さんがいないのか』と泣き出す。ロシアには親族もおり、『なぜロシアはこんなことをするのか』と聞いてくるが、どう説明したらいいのかわからない」。マルギナさんの目に涙がにじむ。ホストファミリーの支えに感謝しつつ、本当の家族が再会できる日を切望している。【文・宮川佐知子、写真・山田尚弘】

 

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