主な事業/国際協力に関する事業(世界子ども救援事業)

2022年モルドバ報告 離散 

「長男戦死 礼装で見送り」
  
幸福な時間 経験できず

生前の長男ビタリーさんの写真が収められたスマートフォンを示すアナ・ボルギリビッチさん=ショルダネシュティで2022年6月11日、山田尚弘撮影

生前の長男ビタリーさんの写真が収められたスマートフォンを示すアナ・ボルギリビッチさん=ショルダネシュティで2022年6月11日、山田尚弘撮影

 軍服に身を包み、銃を構える姿には、あどけなさが残る。「息子は家族や母国を守りたいと思っていた」。スマートフォンに残された写真を見ながら、アナ・ボルギリビッチさん(41)は感情を押し殺すように語った。ウクライナ兵だった長男ビタリーさん(当時20歳)は3月中旬、ミサイル攻撃を受けて命を落とした。

 アナさんはモルドバ生まれだが、20年以上前にウクライナに移住。今年4月、ウクライナ南西部のオデッサ近郊の自宅に夫を残し、出身地に近いモルドバ北東部のショルダネシュティに避難し、次男(12)、三男(8)と教会の施設に身を寄せている。

 ビタリーさんは路面電車を整備する仕事に就いたが、徴兵されて2020年秋から兵役に就いた。直近はウクライナ南部ミコライウ州に着任。家族との間ではほぼ毎日、スマホなどで会話やメッセージのやりとりを続けてきた。3月17日を最後に連絡が途絶えたが、「忙しいのだろう」と心配はしていなかった。

 数日後の夜、地元の役場から突然、アナさん夫妻の所在を尋ねる電話が入った。間もなく、犬が騒がしくほえ、来客を伝えた。暗闇の中、家の前には軍服を着た男性らが立っていた。男性は夫に名前などを尋ねた後、ビタリーさんが亡くなったことを知らせた。就寝中に滞在先の施設が攻撃を受けたという。「息子をこの目で見て、触るまで信じない」。そう泣き叫ぶアナさんに「明日遺体が到着します」と言って軍関係者は去って行った。

 ミコライウからは道路や橋が通れず、遺体が帰ってきたのは2日後だった。夫はビタリーさんと確認した後、「見ない方がいい」と告げたが、アナさんは「どうしても息子に会いたい」とひつぎを開けた。軍服姿でブーツを履いていた。歯の形や腕に刻まれた鳥のタトゥーから本人であることが分かった。寝る時に腕を組む癖があり、ひつぎの中でも同じ状態だった。頭部や顔は負傷していたが、「攻撃を受けた時に寝ていたからかもしれないが、夢を見ているような穏やかな表情でした」。

 翌日の3月25日、自宅付近で営まれた葬儀には同級生、恩師ら多くの人たちが集まり、若すぎる死を悼んだ。「結婚とか、人生の中で最も幸福な時間を経験することなく死んでしまった。私たちにできるのは晴れ姿で送り出すこと」。軍服から礼装に着せ替えた。

 優しい性格で人と争うことはなく、弟たちをよく遊びに連れ出してくれた。「長年かけて温めてきた親子の関係、何気ない会話、その全てが記憶になっていく……」。モルドバにも何度かビタリーさんと帰省したことがあり、自らが幼少期を過ごした場所を見せて回った。その時に訪れた森に最近、次男と三男を連れて行った。悲しみがこみ上げたが、兄を亡くした弟たちを動揺させたくないと平静を装った。

 「国を守るための戦争で多くの命が失われ、残された家族に耐えがたい苦悩を残す。これは大きな悲劇だ。犠牲になるのは一般の人々。政治家はこの争いを一刻も早く止めてほしい」。アナさんはこう訴えた。【文・宮川佐知子、写真・山田尚弘】

 

Back

Next