主な事業/国際協力に関する事業(海外難民救援事業【旧「世界子ども救援事業」】)

2012年パキスタンから 終わらぬ旅 (4)

兄弟や近所の子どもたちから興味深そうに見つめられる生まれたばかりのファリシュタちゃん。アフガニスタンで生活できる日は訪れるのだろうか=パキスタン・イスラマバードで小川昌宏撮影

兄弟や近所の子どもたちから興味深そうに
見つめられる生まれたばかりのファリシュタ
ちゃん。アフガニスタンで生活できる日は
訪れるのだろうか
=パキスタン・イスラマバードで小川昌宏撮影

 イスラマバード中心部から車で約20分。泥でできた家が迷路のように並ぶアフガニスタン難民居住区には約660家族が暮らす。住民のウラン・ハズラトさん (30)は記者に気付くと、顔写真入りのカードを示し、「年末になったら我々はどうなるのか。心配で仕方がない」と訴えた。

 カードはパキスタン政府がアフガン難民に発行した登録証で、期限は「2012年12月31日」。政府は「まだ帰還できる状況にない」として、当初の09年末から延長したが、次はどうなるか分からず、住民に不安が広がっているという。

 ハズラトさんはアフガン北部のバグラン州出身。4歳で家族とともに古里を離れ、パキスタン国内の難民キャンプなどを転々として3年前に今の居住区に落ち着 いた。昼は近くの市場で働き、家族10人を養っている。「いつかは帰りたいが、戦闘が続く状態では命の保証がない。登録証の期限が切れたら、どこに行けと いうのか」と空を見上げた。

イスラマバード

イスラマバード

 ハズラトさんらが住み続けたいと願う居住区だが、電気はなく、住民は共同の井戸水で生活用水を賄っている。給料の遅配などを理由に、学校に先生が来ない日は珍しくなく、診療所も医者が去り、半年以上閉鎖されたままだ。病人はタクシーで街に出るしかなく、稼ぎの少ない難民には容易なことではない。

 そんな居住区で、新しい命が誕生した。カヤル・ムハンマドさん(50)の四女ファリシュタちゃん。「天使」の意味で、「この子には幸せになってほしい」と願いを込めた。

 ムハンマドさんは32年前、旧ソ連軍と戦っていたアフガンのムジャヒディン(イスラム聖戦士)に「仲間に入れ」と迫られたが、武器を取るのが嫌で、家族や親戚とともにアフガン脱出を決意。トラックの荷台などに乗り、5日間かけてイスラマバード近郊の難民キャンプにたどり着いた。2年前、古里の状況を確かめようとアフガンの土を踏んだが、昼夜を問わず銃声が響き、帰還を諦めるしかなかった。「この子が平和な故郷を目にする日は来るのだろうか」。ムハンマドさんは静かにつぶやいた。【文・堀江拓哉、写真・小川昌宏】

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