2014年ハイチ・ドミニカ報告 見えない鎖 (6)

貧しさからキャンプでの生活を余儀なくされているパトリス君
=ハイチ・シテ・ソレイユで6月
西半球最大級のスラム、シテ・ソレイユ。海岸近くの空き地に、古びたテントが密集する「タピスベールキャンプ」がある。約32万人が死亡した大地震の被災者のために作られたキャンプで、4年がたった今も525世帯(1015人)が暮らす。大地震で父を亡くしたパトリス・バゼライス君(10)もその一人だ。「キャンプを出たいけど、うちは貧しいから無理なんだ」
パトリス君は6畳ほどのテントで母と弟、妹の4人で暮らす。テントには電灯も窓もない。中は汗が一気に噴き出すほど蒸し暑い。「ウー、ウー」。脳に障害を持つ妹(8)がタオル1枚敷いただけの床に横たわりながら何か言いたげに声を上げていた。「おなかがすいたんだよ。最近はずっと叫んでる」。パトリス君が妹の頭をなでながら続ける。「地震のすぐ後は食べ物をもらえたんだけど、今は1食も食べられない日もある」。ここ2日はスナック菓子以外食べていないという。
地震は2010年1月12日午後5時前に起きた。パトリス君は路上で遊んでいて無事だったが、父パトリックさん(当時31歳)は働いていたスーパーが倒壊し、下敷きになり亡くなった。地震で自宅も崩れた。母ローズマリーさん(44)は「地震直後にあった食糧や医療品などの支援が今はほとんどない。キャンプを出たくても行き場所がない」と途方に暮れる。
ハイチは地震前から国民の大半が貧しかった。地震が起きた後は支援が集まり、貧困層にも物資が行き渡った時期がある。だが今は世界の関心が薄れ、援助物資も集まりづらくなっている。被災者を支援する国際移住機関(IOM)によると、約2万8000世帯(約10万3600人)が今でもキャンプで生活している。
アリーンちゃんの祖父母はハイチ出身で、1960年代にサトウキビ農園の労働者としてバテイに移り住んだ。しかし数年前、農園は閉鎖され、アリーンちゃんの両親は仕事を失った。母ジュリーさん(29)は「出ていきたいけど、お金がありません。仕事を探していますが、なかなか見つかりません」。目に涙をためた。
地震直後から仮設住宅などの建設を担当するIOM職員の大野拓也さん(40)は「地震前からあった貧困という問題が改めて浮き彫りになっている。貧困対策をしっかりしないといけない」と話す。
別れ際、パトリス君は興味深そうに記者が乗って来た車を見つめた。「これはトヨタの車でしょ。ニッサン、ホンダ、ダイハツ。全部日本だよね。車が好きなんだ。将来は車の整備士になって家族を助けたい」。そう言うと陽気なハイチ人の子どもらしく、人懐こい笑顔を見せて、手を振った。=おわり【文・松井聡、写真・望月亮一】